せきねしんいちの観劇&稽古日記
Diary INDEXpastwill


2005年11月15日(火) 「贋作・Wの悲劇」

 今年のgaku-GAY-kaiの演目は、「贋作・Wの悲劇」。このあいだ、ちょっと若い人たちと話したら(10代から20代前半)、あんまり知られてなくって、ショックだった。名作だよね?(>30 代から40代のみなさんへ)
 僕は、わりとリアルタイムで見た覚えがあって(でも、たぶん名画座)、そのときの印象は、「演劇」についてずいぶんしっかりと書かれた脚本だなということ。あ、その前に、何の予備知識もなくて、夏木静子の原作を読んでから見たら、ほんとに劇中劇としてしか登場しなくて驚きもしたんだった。
 当時、とっても好きだった加藤健一さんが書いた「俳優のすすめ」という本のなかの言葉が、いっぱい盛り込まれていて(世良公則のセリフね)、あららと思ったり。劇中に登場する「海」っていう劇団は、「ガラスの仮面」の「劇団つきかげ」や「オンディーヌ」みたいに、絵空事、もしくは理想郷の演劇を体現しちゃってて、当時でも、かなりうさんくさく見た覚えがある(今は、かえっていとおしい気がするけどね)。
 とにかく、僕は、まだ二十歳そこそこで、まだ劇団の養成所にも入ってなかったから、今より、ずっと「お芝居の世界ってなんてすごいんだ!」という視線で見てた気がする。
 で、今の僕にとって、この映画のおもしろいところは、トシを取るにつれ、おもしろいなと思うポイントが変わってきたことだ。
 芝居をやめようかどうしようか考えていた頃には、世良公則のセリフがとってもしみた。つきあってた相手ともめてた頃には、「芝居をとるか、自分をとるか」というようなことを、実際に言われて、「わ、『Wの悲劇』みたいだ」と思ったりもした。喧嘩の最中にそんなこと考えてるくらいだから、僕が芝居をとったことはいうまでもない。
 すっかり芝居ばっかりの暮らしの今になって、ようやく、この映画をシンプルにおもしろがれるようになったのかもしれない。何年か前だったら、やっぱりこの映画をとことんおもしろがることはできなかった。薬師丸ひろ子の役がなまなましくて。
 でも、今は、この映画の三田佳子をおもしろがってしまえる。存分にね。
 こんな女優いるんかい?というぎりぎりの線で「あり」になってるのがすごい。
 セリフも、ほんとうに真剣に書いてるの?というくらい、イカしてる。
 僕がこの映画の三田佳子を再認識したのには、札幌のジュソくんの役割がとっても大きい。札幌に行くたび、東京で公演を見に来てくれるたびに、三田佳子の名セリフを「演じて」くれたからだ。
 「そういうとき、オンナつかいませんでした?」「私はそれでも舞台に立ったわ、血にまみれて」「あー、もう私だめだわ、ただの女になっちゃう」
 まさにゲイが好きな女優の要素のあらかたが、三田佳子演ずる羽鳥翔という女優にはブレンドされてる。
 それと、高木美保のヒールぶりも、もとい、高木美保を陥れる三田佳子のヒールぶりも、なんてイカしてるんだろう。このへんは、郡司明剛さん改めしいたけをさんに学んだところが大きい(*しいたけをさんは、今回、高木美保の役です)。
 「Wの悲劇」の各シーンは、もしかすると、ゲイカルチャーの無形文化財のようなものかもしれない。本編の中にはゲイのゲの字も登場しないけど、あちこちのバーや、友達同士のおしゃべりの中で、みんながいちどは聞いたことのあるセリフの数々。それを今回、思う存分遊んでしまおうと思う。
 去年の「贋作・毛皮のマリー」も女優が登場するバックステージものだったけれど、今回はもっとストレートなものになりそうだ。
 とりあえず、同じ頃に公開された角川映画、原田知世主演の「時をかける少女」もちょっと盛り込んで、にぎやかなミュージカルにしようと思う。
 稽古は来週の日曜日からはじまり。今年もまた、ナンバーのキーの確認をして、歌稽古から始まりそう。
 すすみぐあいをややネタバレありで、この日記で紹介していこうと思うので、よかったらどうぞご覧下さい。
 「ストーリーはみんな知ってるでしょ?」という前提でのお遊びなので、「『Wの悲劇』ってなあに?」という人は、ビデオorDVDで予習しておいてくださいね。その方がきっとおもしろいから。


せきねしんいち |MAILHomePage

My追加