せきねしんいちの観劇&稽古日記
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ウエストエンドスタジオにplug-in公演「−初恋」を見に行く。さゆりんこと松田りくちゃんに誘われて。お世話になっている金さんのご招待。 土田英生のこの芝居はMONOのオリジナルを何年か前に見ている。今回は、スタジオライフの船戸慎士さんが、要になる笹川の役で出演。 ゲイばかりが住む、というか、「ホモアパート」と呼ばれている「ハイツ結城」。中学生らの投石や地元の立ち退き要請などに耐えて、立ち向かう、いや、耐えなくて、立ち向かわなかった人たちのお話。 以前見たときも、ゲイが登場するけど、これはゲイの芝居というよりは、ある共同体がどう変質して崩壊していくかという話だなという印象を持った。 登場するゲイたちは、現代に生きる人物像としては、やや類型的な描かれ方で、そのことが実はとっても特殊なんだという認識を、作者の土田英生はきちんと踏まえていると思う。 そう、とっても特殊なお話。ある田舎町という舞台設定も、女装や、バーにつとめるということ、または誇りを持って生きるという主張も、どれもが、みな特殊な状況下(ホモアパートと呼ばれ、石を投げられ、立ち退きを迫られているという)だからこそ成り立っている。 たとえば舞台が東京だったら、こんなことにはならない。女装しようが、バーに勤めようが別にかまわない。なのに、そのことがこんなに大ごとになってくるのは、今、彼らが置かれている特別な状況によるところが大きい。 今回の上演は、人物をきっちり掘り下げて、MONOの上演にくらべると、かなり重たい。するすると流れる会話や思いの交錯の中に、ふと見えるホンネの重さが、土田英生の本領だと思う僕には、やや、ヘビーな印象だった。 悲しいときに、悲しみを力一杯表現してしまいたいというのは、役者や演出家の自然な欲求なのかもしれない。でも、この戯曲に関しては、もっとさらさら流れた方が、いいような気がする。 この戯曲で一番好きなのは、投石が続くなか源田と真田がおずおずと抱き合う場面なのだけれど、今回の舞台では、この場面の「おずおず」といったかんじや切なさもどかしさが、あまりひびいてこない。 逆に、終幕、大家の小百合が笹川に「一緒に行っちゃだめですか?」と抱きつく場面と、その後の涙をこらえた別れの幕切れが、そこまでしなくてもというくらい涙で強調されている。僕はここで小百合が抱きつくのはちょっとどうかと思うのだけれど、今回の演出の方向としては自然な流れだったのかもしれない。 音楽にはビレッジ・ピープルが流れ、壁にはキース・へリングが貼られ、終幕には小さなレインボーフラッグにいつまでも小さな明かりが落ちて揺れている。ゲイというものをきちんと描こうとする姿勢は、とても敬意を表したい。 ただ、対立の構造が、正しい笹川とそれ以外のメンバーという図式に見えてしまったのが残念だ。「誇りを持って生きるのよ!」と、女装にも、バー勤めにも反対する笹川は、彼自体が、本来おかしな存在だ。今回の舞台は、笹川を演じる船戸慎士がゲイとして、かなり説得力のある人物をつくっているので(ビジュアル的にも)、彼自身が抱えている矛盾が立ち上がってこない。むしろ、彼の主張は全く正しくて、それに対して他の人間は間違っているんだというふうな構造になってしまっている。そこが残念だった。 それにしても思ったのは、この芝居のむずかしさだ。他愛のないやりとりが続き、外からの暴力がピークになったかと思うと、次の場面では、みんなバラバラになってしまう。そのことを、どうとらえるのか? 僕は、これは全く正しくない、もしくは、時代遅れな笹川という一人のゲイが、自立していく話じゃないかと思っている。 それにしても、彼はどう生きていくんだろう?と心配になる。他の登場人物の誰もが、みんななんとかやっていけそうなのに対して、彼だけは、これからが全く見えない。それは、小百合ちゃんのプロポーズを断ったからではなく、彼の「誇りをもって生きる」という主張が全くの具体性を持たないということに気がつくからだ。 そのへんをも踏まえて読み直すと、この戯曲はよりいっそうおもしろい。 なんだか、文句をいっぱい言ってしまったようだけど、僕は今夜の芝居をとてもおもしろく見た。久しぶりに見た船戸さんは、「卒塔婆小町」以来だけれど、とてもいい男になっていて、芝居も達者になって、見ていてほんとに楽しかった。他の役者さんたちも同様だ。 終演後、りくちゃんとお友達のシュトウさん、ナガヌマさんと食事。芝居、特にミュージカルの話をたくさんして盛り上がる。楽しい夜。
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