せきねしんいちの観劇&稽古日記
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| 2005年07月14日(木) |
「Four Seasons 四季」稽古 |
エピローグを残し、それまでの改訂台本を持っていって、みんなに渡す。でも、読み合わせはしないで、昨日の続きの立ち稽古。 稽古は「それじゃ違う」と指摘する時間であるのはもちろんだけど、僕は、「そうそう、それそれ!」という時間だと思ってる。 何も言わないからダイジョブなんだよということではなくて、いいと思ったことは、その都度、それを伝えていきたい。「すごいよ、それ!」と言い続けていたい。 稽古を続けるうちに、できてると思ってたことができなくなってしまうのは、ダメだしだけで、それでいいんだよということを伝えてないことが多いんだと気がついた。 これがダメならこれかな?と探っていった先に、ダメがないという結果があったとしても、それがいいんだよ!という指摘で、ああ、これでいいんだと納得できなければ、演技の道筋はすっきりと見えてこない。 「何も言われないからいいんだと思うけど」と、結果、消去法をしつづけて、「じゃあ、こういうことか」と発想を転換して、自分のスジ道を見つけるのが役者の仕事なのかもしれない。でも、そんな転換より、「それが、いいよ」と単純に言われた方がどれほどラクかわからない。これは、僕の役者としての気持ちだ。 最近の稽古場は、「そう、それそれ!」と言う機会が増えた。これも、それでいいと言い続けた結果、みんなが僕の望んでることをわかってくれるようになったからなのかもしれない。 昔、僕の芝居は「ただ、素直に書いてあることをしゃべってくれれば、だいじょぶ」なものだった。セリフに全ては書かれていた。でも、この頃は、セリフとはうらはらな思いや、セリフの間のリアクションが芝居を積み重ねていく。「どう言うか」よりも「どう聞くか」の方が、今の僕には大事に思える。 声がどんなにいい役者でも、聞くことに長けた役者にはかなわない。どう演じようかと考えるより、自分以外の役者のセリフをちゃんと聞くことの方が、よっぽど人物は生き生きとしてくる。 すべての人物が登場する今日の場面では、しゃべっていないときにどうしているかということが実はとってもおもしろい。 しゃべってる時だけ舞台にいられるようなラシーヌやシェイクスピアの芝居もあるけど、今回の「Four Seasons 四季」ではとにかく、丸ごと人間がそこにいてほしい。何もしゃべってなくてもね。印象に残る表情、ああ、写真にとっておきたいなあと思うとき、その人は、きっと黙っているんなあと思った。 稽古のあと、照明のさやかちゃん、音響のあゆみちゃん、美術&舞台監督のさっこさんと打ち合わせ。具体的なプランのつめと確認。引っ越しの話が、まるで芝居にあわせたかのようにあちこちにいくつも。
「Four Seasons 四季」初日まで、あと13日!
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