せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2005年07月11日(月) 「上演されなかった『三人姉妹』」

 紀伊國屋ホールへ燐光群「上演されなかった『三人姉妹』」を見に行く。
 ロビーで、「ユリイカ」でフライングステージを紹介してくださったタニオカさんにご挨拶。富士見丘でお会いするスズキさんにもばったり、座席も隣同士で観劇する。
 某国のチェーホフの「三人姉妹」を上演中の劇場がテロリストに占拠されるところから始まる、ロシアの劇場占拠事件をほうふつとさせる物語。
 客席の前半分も舞台にして、通路を縦横に使っているので、観客も人質として参加するような構造かと思っていたのだけれど、それよりもむしろ、現代の戦争=軍隊のありようをとっかかりにした「三人姉妹」の読みかえの劇だった。
 占拠された劇場の役者たちは、占拠されてもなお「三人姉妹」を演じ続ける。俳優達の他に、客席にいたかつての俳優たちも含めて、人質になった彼らの今と、「三人姉妹」の人物たちが抱える閉塞感がていねいに重ね合わされていく。
 中山マリさん、立石涼子さん、神野三鈴さんが演じる三人姉妹がみごとだった。占拠後も「三人姉妹」を演じ続けるという、やや理不尽な設定を、それぞれのキャラクターでひっぱり、演じきっていたと思う。
 中でも立石涼子さんには感動した。マーシャを演じている部分と、地の女優のホンネを語る部分とを、それぞれとても生々しい声でつくりあげていた。終幕、テロリストのリーダーと恋に落ちてしまい、涙ながらに別れる場面での、虚実ないまぜ感には涙してしまう。これってメロドラマだったの?と思いながら。
 「三人姉妹」に登場する軍隊というと、どうものどかな人たちをイメージしてしまうが、そうではない人殺しの集団なのだということに気がつかされたことが、僕にはとても新鮮だった。
 実は戦争ととなりあわせにいる、閉じこめられた人たちという「三人姉妹」の世界観を、現代につなげて見せるのは、かなりの力業だと思うが、かなりの部分で今回の舞台はそのことに成功していると思う。出演者たちも、ほぼしゃべりっぱなしの「チェーホフさながら」の演技を見事にまっとうしたと思う。
 はじめ、リアルな劇場占拠を体感させておいて、メタシアター的な構造を緻密に積み上げ、メロドラマチックな感動のさきに、現代の世界が抱える戦争の構造を見せる、エンターテインメントしても見事な舞台だった。
 ただ、一ヶ所、終幕の決闘の場面だけは、つなげ方が強引だったかもしれない。「一人紛れ込んだアメリカ人」という設定はとてもおもしろいのだけれど、微妙に生かし切れていない歯がゆさが残った。
 終演後、知的な構造をもった舞台をみたあとの感動と満足感というよりも、メロドラマの「女優」の芝居を堪能した気分で劇場をあとにした自分がおかしかった。
 「三人姉妹」はこれまで何本も見たけれど、こんな気持ちになったのは初めてだ。日本を舞台に置き換えた「三人姉妹」よりも、ずっとずっとチェーホフの人物たちは身近になった。それは、彼らが演劇人として登場しているからなのか、戦争、テロと向き合わざるを得ないという状況設定のせいなのか? そんなことを考えながら帰ってきた。


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