wakaP〜の好物三昧

2004年03月28日(日) 武村信吾 「GUN FIGHTER」

「ガンファイター」は昨年の秋亡くなったジャズ・ピアニスト、武村信吾氏が残した遺作プライベート・アルバムである。暫くお会いしていなかったので亡くなった知らせを聞き本当に驚いた。後で聞いたが彼は自分が癌である事を知っていた。そして癌と闘う自分とを重ね「ガンファイター」と名付ける遊び心と、そんなウィットを失わない強靭な精神力を最後まで合わせ持った人物であった。アルバムは香典返しとして遺族から送られてきたものである。
享年63歳であった。

武村氏との出会いは入社間もない僕が新宿「J」に出演していた頃に遡る。実は彼は関西の某放送局に勤めるサラリーマンであり会社の友人が連れてきてくれたのだ。東京へ転勤したばかりで遊ばせて欲しいと言う。僕はそれまで業界内で自分より上手いピアニストを知らなかったので、いつもの事と半ば儀礼的にピアノを弾いてもらった。

少々癖のある弾き方と始めは思ったが、段々弾き続ける内に指のタッチがピアノの鍵盤の動きと一体化し馴染んでいく。そして延々と続くアドリブに、限りなく溢れ出るフレーズの泉を感じた。お店、ピアノ、メンバーがすべて初めてと言う最悪のコンディションでこのパフォーマンスを叩き出すと言うことは、コンディション良ければどうなるのだろうと恐れ入ってしまった。ちなみにトランペッターのヒロ川島さんは、この頃彼からのご紹介で知り合っている。

神戸在住の為東京で余り知られていないが、関西ジャズ界ではかなり著名な存在であった。某音楽教室のジャズ・ピアノ講師であったとも聞く。僕が出張のついでに訪ねると必ずミナミのジャズ・ハウスに連れて行ってくれた。当然その日のレギュラーがいるのだが、彼が行くとまるでその前に赤いじゅうたんが敷かれるが如く全ては整然と仕切られ、僕の様な新参者でも一緒に遊ばせてくれた。

その後、彼は会社の役員となるがジャズピアノも辞めずに続けた。超人である。僕は「ガンファイター」以外にもう一枚アルバムを持っている。88年、彼は渡米しNYで自己のアルバムを録音しているのだ。何と言う贅沢な自己実現!最高にコンセントレーションの集中している時期に録音したのであろう。スタジオ録音である事も含め音の粒立ちが素晴らしい。その中、ライブにも収録されている彼のオリジナル曲「Mr.B.T」が大好きで自分のレパートリーにさせて頂いている。哀愁あるメロディーが印象的でピアニストのボビー・ティモンズをイメージして書いたと言う名曲である。

さて、アルバム「ガンファイター」は亡くなる半年前の03年3月、芦屋「HEY HEY CLUB」、大阪「B-ROXY」で収録されたライブ盤である。今からちょうど一年前、彼は病魔と闘いながらJAZZと向かい合っていたのだ。ライブ収録に立ち会った聴衆に自分の姿を晒しながら、遺すことのできる「最高の音」を、「最後の音」を探したのだろうか。

そして彼は逝ってしまった。ゆっくりと話すことも僕のピアノが少しは成長したことを伝えることも、もはや出来ない。何をやってもその足跡をなぞるだけになってしまったと思うほど、彼の生き方は(ある意味、死に方とも言えるのだろう)羨ましく思えた。「ガンファイター」はそんな僕に残された大切な彼の思い出である。

あらためてご冥福をお祈りします。合掌。


 < 過去  INDEX  未来 >


wakaP〜 [HOMEPAGE]