| 2018年09月05日(水) |
南海の九州3(加計呂麻島) |
大旅行も3日目 後半戦です!
朝6:30 超気合で起床!! 昨夜買っておいた飲み物を一気に飲んで眠気を覚まして ロビーで待っていた2人と合流して出発です!
今日は奄美大島を南下します。 1時間ほど車内で昨日買ったパンなどを食いながら移動して 『古仁屋港』へと到着です。 港に車を停めてチケットを買って
今日は船を使ってお隣の加計呂麻島へと渡ります♪ 港にあった妙にリアルな巨大マグロの像のハイセンスさに 首を傾げつつ出港の時間を待ちます(笑) 古仁屋港を8:10に出て20分ほどで加計呂麻島の 2つある港の西側の『生間港』へと到着です。
港の近所にある ・・・・え?(汗)ってレベルの廃屋??っぽい家屋で レンタカーを借りて出発(笑)
ま〜そこまで大きな島では無いのですが、見所はたくさんあるので サクサク進みましょう♪
まずは『震洋隊基地跡』
はい
今日も何時もの感じです(笑) 奄美大島の瀬戸内町古仁屋から加計呂麻島に渡るフェリーが 発着する瀬相港と、押角集落の間に位置します。 今は、トンネルが通っているのでメインの道路はこのトンネルを 通りますが、迂回した道の途中にこの基地跡があります。 ここには、第二次世界大戦のときの特攻部隊である震洋の基地の跡が 確りと残っており、鬱蒼とした密林の中に崖を刳り貫いて 穴が掘られ、そこから目の前の海へと出撃したのでしょうか・・・
辺りの美しい風景と比べて歴史の業が重いね(汗)
ま〜そう言ったものも確りと受け取って、お次は『スリ浜』と 呼ばれる風光明媚な場所へ♪ 白い砂浜とどこまでも青い海に感動!
白い砂浜が続き、豊かな島の植物が生い茂る南国ムードたっぷりの ビーチです! マリンスポーツのメッカだそうですが・・・・そっちは興味0 なので景色の綺麗さのみを満喫(笑)
そのまま海沿いの島外周道路を進み、『武名のガジュマル』と 呼ばれる巨木を見学! 武名集落にある大きなガジュマルで、ガジュマルは熱帯地方に 生息するクワ科の木で、幹が複雑に絡み合っていてとても 神秘的な雰囲気があります。 奄美大島では古くから、ガジュマルにはケンムンという イタズラ好きな妖怪が住むと言われています。
外周道路から真っ直ぐに海へと伸びる小さな 木の桟橋も絵になります♪
そのまま外周道路を進み、島の北の集落へ 『実久三次郎神社』を参拝 実久三次郎を祀る神社です。 ・・・・・・・「実久三次郎って誰?」と言う貴方!
有名な鎌倉幕府の初代将軍の源頼朝 実久三次郎はその頼朝の従弟です。
伝説によると 実久三次郎の父は弓が上手い大男でした。 政権争いに加担し敗北したため伊豆大島に流されましたが その大きな体でなんとか伊豆大島を脱出し、奄美までたどり着いて 島の女性と授かったのが実久三次郎です。 父親譲りの身体の大きさで力比べをした時の岩と 足型が今も残っています。 この「実久」や、近くの集落の地名は、 彼ら源氏に由来するとも言われているそうです。
・・・・伊豆大島から奄美大島まで辿り着いたって時点で かなりのハードコースですが、きっと気合と根性で何とか したのだと思います(苦笑)
序に『実久海岸』にて海を眺めておきます♪ 加計呂麻島の北西部に位置する実久集落にあるビーチで 地元でも「実久ブルー」と呼ばれる海の色は、さまざまな青の表情を 魅せてくれます。 遠浅の海岸が長く続き、その白い砂浜は加計呂麻島屈指の美しさを 誇ると言われています!
・・・・ま〜敢えてここの海岸じゃなくても、奄美大島周辺は どこも海が奇麗なので、どこで見ても美しい海が見れますが(マテ)
そのまま島の北からグルっと南下して行き、島の南部へ その途中で『アシャゲ』を発見! アシャゲとは神聖な建物の事で 集落の広場にあって、ノロを中心とする女性神人達の祭場と なっています。 簡素な造りの建物ですが、集落の真ん中にポツンと出て来るので 何とも言えない迫力を感じます・・・
島の外周を走りながら、枝が民家を覆うほど大きなガジュマル 『於斉のガジュマル』や伊子茂小学校を見守るかのように立つ、 通称『伊子茂マモル君』と呼ばれる警察官の格好をした人形 (そのクールな佇まいのためなのか、人気が高い観光スポットに なっているそうです(笑)) 等を見て回りつつ『諸鈍グスク』へ
加計呂麻は海だけではなく、ガジュマルやデイゴの 木の巨樹なども素晴らしい見応えがあります! 特にここの諸鈍のデイゴ並木は100m程もあり、デイゴの 古木が海岸線に並んでいます。 映画「男はつらいよ!」最終話「紅の花」で、浅丘ルリ子 演じるリリーの住んでいる海岸線の家に、寅次郎が訪ねて 来るという設定で使われた場所でもあります。 諸鈍グスクは、奄美大島の南に浮かぶ加計呂麻島の東にある 諸鈍湾に面した場所に築かれたグスクで、グスク城主は、 平家の落人である平 資盛だと云われています。 グスクは使用人などが暮らしていた住居跡を囲む石垣しか 残っておらず、元来の主郭といわれていた資盛の居城跡には 現在民家が建っており、城郭としての面影は残っていません でしたが蔦が絡まる高さ2mほどの石垣は中々に良かったです。
諸鈍集落の入り口には、資盛を祀った 『大屯神社』 があり、 一説には、この神社の裏がグスクではなかったのではないかと 言われているが定かではないそうです。
この神社は秋に諸鈍シバヤが行われる事で有名だそうです。 平資盛を祭る神社で、踊り・村芝居などが行われ、平家の落人だった 平資盛が土地の人を招いて、上演したのが始まりと 言い伝えられています。
さてこの島で唯一今回利用した港よりも東に位置する 『安脚場戦跡公園』 別名「金子手先展望台」
戦時中に島の東側の大島海峡に潜水艦の侵入を防ぐため、 防潜網並びに機雷等を敷設、潜水艦の侵入を監視し、更に侵入した 場合は、機雷を爆破するための軍事施設で、機雷を爆破させる為の コントロール施設として、昭和16年に建てられた 金子手先防備衛所や弾薬庫等が残っています。
前から見学したかったポイントで結構楽しみにしていたのですが 来る前にここを調べていると 「過去の台風で道が崩落して行けない」とか 「現在立ち入り禁止中」とか書かれた記事ばかりが出てきます(汗)
ま〜その記事は2年近く前の記事なので流石にもう道も直って いるだろう♪
はい
山の上にある公園なのですが、山道の手前で通行止めの看板と 柵が!(汗)
・・・・・・まだだ まだ負けんよ
柵で車両はダメでも徒歩なら行ける!(ヲ) 柵の間は徒歩なら余裕で入れる!(マテ)
で、車で待つと言う2人を置いて出発!!
山道を言っても車道 確りと整備せれた道なので余裕余裕と進んで行くと やはり道には石や木々が転がっていました。 ま〜でもこの程度なら全然入って進めるのに大袈裟だな〜と 思っていました。
工事車両が道路を封鎖してその奥にプレハブの事務所が出て来た 辺りは道路は泥だらけで、ここは今まで土砂に覆われていたんだな とすぐに分かるレベルでした。
が、それでも工事現場に人が居ないのを確認後、 事務所の側をしゃがみながら静かに移動! 事務所にも人が居ないのを確認してダッシュで離脱♪
このまま公園まで余裕じゃん☆
えぇ
本当にこのまま楽勝だと思っていました。
その先で完全に崖崩れで道路が土砂と木々、巨石に押し流されて いる箇所が4箇所も出て来ました(滝汗)
マジで迷いましたが、地形図や崩落現場の状況などを 何度か確認した結果
GO☆
いや、崖から遠い方向から大きな石の上を進めば両手を 使わないでも進める程度でしたので、普段たまに遭遇する ハードな山城に比べて通ってみたら楽でした(苦笑)
山頂の公園へ到着 公園はずっと閉鎖されていた割には全然蜘蛛の巣や雑草が 生い茂っておらずにスムーズに見学出来ました♪
しかも貸切(笑)
ま〜でも流石に車に戻った時には汗だくでかなり ヤバかったですけどね(汗)
さて、これで加計呂麻島の観光は終了です。 半裸の親父が無言で接客?する客商売?知らんな〜! みたいなワイルド過ぎるスタンドで給油を済ませてレンタカーを 返却して、暫し何も無い港で海を眺めて時間を潰します(笑)
生間港を16:30に出て、奄美大島の古仁屋港に16:50に 戻って来ました!
港からやや東側へと移動して『ホノホシ海岸』へ この海岸は太平洋に面しており、海岸の石、砂利は打ち寄せる 荒波に洗われて玉石と化しています。 波が引くときには、石が擦れて太鼓のような音が聞こえます。 沿岸には奇岩がきり立ち、洞窟もあって、豪壮で男性的な景観を 有しています!
辺りには海老の養殖なのかな? 瀬戸内町の一番東にあるホノホシ海岸の直ぐ側にある大きな池 では池の上に電柱が並び立ち電線が通っている、どこか東南アジア っぽい風景も見れて楽しかったです(笑)
そこから1時間かけて名瀬へ戻り 更に30分ほど北上し『ソテツ・バショウ群生地』へ 安木屋場の群生地にあるソテツの本数は約6万本とも言われ、 山肌一面に広がる光景は圧巻! ソテツは第2次世界大戦の前後までは、民衆の飢餓を救う 貴重な食料源だったそうですが、この山の斜面を覆いつくすソテツ の木々は、逆にこっちが飲み込まれそうなほどの圧を 感じましたね(汗)
そのまま近所にあった『西郷南洲謫居跡』も見学して来ました。 1859年1月。明治維新の立役者である西郷隆盛(当時32歳) は、幕府から身を隠すため龍郷町に約3年間暮らしていました。 「菊池源吾」と改名の上、潜居生活を送っていた西郷は、後に 地元の名家・龍家の愛加那(あいかな)を妻に迎えて一男一女を もうけています。 県の指定文化財となっている南洲流謫跡は、西郷が愛加那と 生まれてきた菊次郎のために新居を構えたいと考え、自ら設計し、 新居を建てる場所も西郷自身で台風が当たらない場所を村中を くまなく歩き回り、現在の場所に決めたそうです。 南洲流謫跡では、西郷ゆかりの品や、勝海舟が碑文を書いた 石碑などを見る事が出来ました。
さて、今日こそは!って事で「鶏飯」を食べましょう! 昨日行って閉まっていた「ひさ倉」へ再トライ!!
今日は開店していて一安心
ご飯とスープは御代わり自由と言うパラダイス!! 具材は追加出来ないものの、老ちゃんが残した具材が追加分として 確保済みなので無問題!(ヲ) 茶碗(大)で3杯もお代わりして大満足!!
で、最後に茶碗(大)に「半分くらい下さい」って言ったのに 何故か4杯目が御櫃で運ばれてくる悲劇が!!(滝汗)
えぇ 食ったよ 頑張って食い切りましたさ(涙)
名瀬まで戻り、流石に満腹過ぎて動く気にもなれなかったので 真っ直ぐに部屋に戻って酒も飲まずに就寝・・・・
最終日の夜だって言うのに何だかな〜って感じです(苦笑)
ま〜ただ明日は本当にマッタリモードなので この旅で初の朝がゆっくりです♪
しかし今日も色々ありましたが無事に見たい物も全て見れて(ヲ) 大満足な1日でした! 旅も明日が大詰め!! 最後まで気を抜かずに遊び倒したいと思います!!!
頑張るぞ☆
続く
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