| 2018年09月06日(木) |
南海の九州4(奄美大島2) |
奄美の旅も今日でおしまいか〜
あっと言う間だったね(笑)
今日は今までよりも時間に余裕があるので 朝もゆっくり!!
・・・とは言っても最終日=チェックアウトなので 10時には宿を出発ですけどね(苦笑)
宿を出て空港まで向かう途中にて細い小道に入り込み住宅街?へ 『平行盛神社』を参拝します。 奄美大島には壇ノ浦で源氏との戦いに敗れた平氏が南に落ちのび、 平有盛が名瀬浦上に、平資盛は諸鈍に、そして平行盛が戸口に たどり着いたという「平家伝説」があります。 上戸口集落にある行盛神社は、平行盛を祭った神社で、 敷地には行盛の墓と伝えられる石塔があります。
いや〜今日も暑いね(汗) 大した石段ではないのですが、汗が!!(汗)
参拝後は畑の中の道を迷子になりながらも 時々木々の隙間から遠くに見えている高い塔を目指して進み 『赤尾木送受信所』へと到着です。 昭和13年(1938年)に無線電話機能を持つ送受信所施設が 龍郷町赤尾木に建設されました。 送信・受信それぞれの局舎と官舎が合計15棟と、コンクリート製 無線塔が合計10基(送信所側に5基、受信所側に5基)です。
戦時中、軍部の施設をしても使われた為に戦火にのまれ 現在は、送信所側に1基と受信所側に2基の合計3基の無線塔のみが 残っています。
1基は根元まで近づけて、塔の中の空洞まで入って見上げる事が 出来るのですが、老朽化が激しく何時まで現存してくれているか 不安ですね(汗)
さてさて もう既に空港が目の前ですが(涙) 一旦、通り過ぎで『宇宿グスク』へと向かいます。
国史跡。 縄文時代前期から中世のグスクにいたる複合遺跡で現在は 宇宿貝塚史跡公園として整備されています。 1933年(昭和8年)に発見された遺跡で、奄美大島で初めて 国指定文化財に指定された貴重な遺跡だそうです!
遺跡からは縄文時代や弥生時代の土器をはじめ、住居跡や獣骨、 魚骨、白磁、青磁など多くの出土品が発掘され 立派な見学センターで発掘現場を建物で覆った状態での遺跡が 間近で見れたり、奄美特有の考古学的観点の考察など 面白い展示もあり結構楽しかったです(笑)
はい! 打ち止め!! 時間はまだまだあるけれど、行き先終了です!
海で遊ぶか?って案もありましたが、最終日でこれから飛行機に 乗るのに海水でベタベタさせても仕方が無いだろうと満場一致で スルーでした(笑)
レンタカーを早めに返し、空港で待機です。
昨日までは関西圏が暴風雨で大変でしたが、何やら今朝は 北海道の札幌で大きな地震まであったらしく、空港のニュースは それ一色(汗) 確かに関西圏、北海道の便は全滅してましたね
九州と言ったらファミレスはこれなのか!?って感じの 空港内にあったジョイフルで昼飯を食ったり、空港内の売店で 改めて土産を買ったりして時間を潰して、定刻通り15:05に 奄美大島を飛び立ちます!
さらば奄美大島! そして奄美諸島!! 2年連続でお世話になりました(笑)
今回は直行便だったので、真っ直ぐに羽田空港へ 空は少し揺れましたが大した遅れも無く、定刻17:05から 少し遅れて到着でした。
何時もは朝、店が開く前の飛行機で飛び立ち 夜は現地を最終便とかで飛んで、着いたら21時過ぎで店も 閉まっているって言うのが殆どなので、17時に空港に着くと こんなに明るく、店もやっていて人通りが多い羽田空港は 違和感が凄いな(苦笑)
空港で老ちゃんと別れ、コチヤと2人で車で帰宅です。 流石にこの時間帯は道路は混んでいました(涙)
茅ケ崎でコチヤを降ろして、一回実家に寄って土産を渡してから 実家で晩飯を食ってから帰宅。
いや〜今年も大旅行が終わってしまった〜(涙) 毎年、台風とか船の乗り継ぎとかでヒーヒー逝っている印象が強い 夏の大旅行ですが(滝汗) 今年も特大の台風をすり抜けて、日本各地が自然災害に見舞われた中 天候にも殆ど恵まれて過ごす事が出来ました。
来年は・・・・・・・・・・・・五島列島かな? 再びですが(過去日記参照) 今のところ、福江島にしか行っていないので、せめてもう1つ2つ 島を巡ってみたいと思います。
五島列島は台風ルートからはやや外れていますが ・・・・また船の乗り継ぎとかでヒーヒー言いそうですね(ヲ) その時もせめて3人 出来たら4人、集まってくれると良いな〜と期待しつつ 今回の旅を〆させて頂きます♪
それでは今回もお疲れ様でした〜
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