もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2018年09月04日(火) 南海の九州2(喜界島)

奄美の旅も2日目



朝、7時前に気合で起床!!!

今日は飛行機に乗って隣りの喜界島へ渡るので
時間がタイトなのです(涙)

下のロビーで老ちゃんとコチヤと合流したら
前夜に買っておいたパンとかを車内で食べながら
北部の空港まで移動します。

途中、空港の手前で『奄美姑神社』にだけ立ち寄り観光!
奄美空港からは10分程度、
節田集落に入りまっすぐ道沿いに進むと見えてくる神社です。
「奄美」の名前の元になったと言われる「あまみこ」。
伝説では女神の阿摩弥姑(アマミコ)と男神の志仁礼久(シニレク)が
天から降りて来て、奄美大島を創りました。
神社から少し上がった所に、「アマンデー」があり、この神社は、
アマンデーの拝殿の役割をしているといわれています。
アマンデーは奄美開闢の聖地です。

その聖地へ今日の晴天と旅の無事を願いつつ参拝♪


奄美空港に車を停めて9:45発の喜界島行きのフライトの
手続きを済ませます。
隣りの島なので小さなプロペラ機での移動になります。
フライト時間は30分も無いです(笑)

定刻通りに飛行機は飛び立ち、若干空の上は揺れましたが
窓から見下ろす南国の海や島の景色は最高に綺麗で
あっと言う間に『喜界島空港』へ到着しちゃいました(苦笑)
喜界島へは10:05に到着です!

そもそも喜界島は奄美群島の北東部に位置する島で
鹿児島県大島郡に属し、全島が喜界町に属しています。
隆起性サンゴ礁の島で全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩で
出来ていて、約12万年前に島として現れたと見られ、現在も年間約
2mm隆起を続けているそうです。
低い丘陵地が多く、サトウキビ畑などの開発が進んでいるため、
手付かずの山林が少なく、奄美大島などと比べて固有の動植物が少ない
そうです。

地方の小さな駅?って感じの空港(マテ)の近所のレンタカー屋で
予約をしていたのですが、レンタカー屋に行く前に看板を発見して
しまったので『海軍航空基地指揮所』へ先に徒歩で行く事に!
太平洋戦争後期、現在の空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう
特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました。
この「戦闘指揮所跡」は軍事的な判断、指揮命令が行われていた
場所で、特攻隊員も出撃前はこの場所で作戦指示を受けていたと
言われています。
いつ建設されたかという事は当時、高度機密であったため不明ですが、
現存する戦闘指揮所の建物としては国内ではここに残っているだけ
なのだそうです!

で、見学中にレンタカー屋から電話が
「島に到着出来ましたか?」

どうやら、先の台風でキャンセル&無断キャンセル
飛行機&船の便の欠航が相次ぎレンタカー屋のオッサンは
人間不信状態でした(苦笑)



取りあえず、すぐ行く旨を伝えて、でも確りと見学を終えて
からレンタカー屋に移動(ヲ)

マジで!?ってくらいに緩い田舎特有の貸渡手続きを済ませて
出発!!


いや〜車がマジでボロイけど・・・・ま〜この島にハードな
山道は無いから平気・・・だと思いたい(汗)


まずやって来たのは島の中心街にある『喜界島御仮屋跡』

江戸時代になって、この島も薩摩藩の支配下におかれると、
鹿児島城下から役人が派遣されてきた島を統治するようになりました。
大島代官から分かれて喜界島代官が設置されたのは元禄6年
(1693年)の事で、明治8年(1875年)に代官所が
廃止されるまで、ここに役人が勤務していたそうです。
役所には本仮屋と下仮屋と東仮屋と西仮屋があったと云いますが
今では遺構は残っておらず、案内板と碑が立つのみです。

続いて島の西側を海沿いを走っている最中で見つけて立ち寄った
『雁股の泉』
保元の乱に敗れた源為朝が琉球に渡ろうとした際に時化に遭い、
喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住人がいるかどうかを
確かめる為に放った雁股の矢にちなむ泉です。
矢の刺さった場所からこの泉が湧いたとされています。

人が居るか確かめるのに矢を放つって、かなりクレイジーサイコ
ですよね(汗)


そのまま島の北側まで走り、出て来たのは『トンビ崎灯台』
実は喜界島北部の灯台は海の近くには無く、やや内陸に入った
高台にあります。
特に案内はないですが、海沿いの道から灯台のシルエットが
見えていますので、それを目指して到着。

・・・ま〜高台の灯台まで行っても海の風景は見えません(涙)
もちろん灯台にも登れませんので、正直言って行っても特に何が
あるわけでもなかったです(笑)


さてさて、島の北部から島の真ん中を真っ直ぐ南に突き抜けて
通っている、通称『直線道路』を爆走♪

見渡す限りのサトウキビ畑と広い空に続くおよそ3.5kmの
一本道!
本当に一本道!!
直線です(笑)
あまりの真っ直ぐさに映画やTVのロケ地としても利用されています。

勿論信号も無いのでガンガン飛ばそうと思えば飛ばせます
「スピードに注意」の看板もありますが

・・・・レンタカーがボロくてアクセルべた踏みでも
切ないエンジン音がするだけで、全然速度が出ないので
結果安全運転をキープでした(苦笑)


そのまま直線道路を渡り切り、島の中心にある山を登って行きます。
『百之台』と呼ばれる喜界島の中央部に広がる標高203mの
隆起サンゴ礁の高台へ到着。
展望台に上がってまず目にするのは地球の丸さを実感させてくれる
水平線です!
眼下に広がる整地されたサトウキビ畑、紺碧に輝くサンゴ礁の海は
まさに絶景♪
このサンゴ礁の高台が約12万年前には、この地は海の中にあった
証拠だそうです。因みに奄美十景の一つです。
隆起珊瑚礁で形成された段丘斜面と植生が評価され、平成29年の
3月7日に国立公園に指定されました。

一旦高台から下りて、島の西側へと戻ります。
来る途中で見つけた看板に書いてあった『ウフヤグチ鍾乳洞』へ
一度はスルーしたものの、やっぱり行こうとなり戻りました。

この鍾乳洞。かつては鍾乳石や石筍が発達してましたが、大平洋戦争
時に守備隊の防空陣地となり、鍾乳石は打ち壊され、石筍は一部
取り払われています(涙)
入り口付近では鎌倉時代のものとされる「長石の辻遺跡」が
発見されたそうです。

ま〜規模的にはそんなに大きな鍾乳洞では無かったのでサクッと
見学!
その後は島の真ん中通過して西から東へ

まず東側でやって来たのは『震洋格納壕跡』
大平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して
250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の
木製小型モーターボート、特攻艇「震洋」(通称:マルヨン艇)の
格納壕跡です。
この一帯に数か所あった奥行50m程の格納壕には、50艇が
格納されていたと推測されています。
完成直後の昭和20年2月11日には、187人の震洋隊が
配置されましたが、米軍上陸部隊が接近することはなく終戦を
迎えた為、出撃する事はありませんでした。
レプリカが鎮座していて物言わぬ迫力を感じましたね・・・

続いて『勝連屋敷跡』を見学。
15世紀、琉球領内において勢力があった勝連の勢力が喜界島に
進出し この屋敷に勝連親方が住んでいたと伝わっています。
勝連親方の「親方」とは琉球王国 の位階のことだそうです。

屋敷内に力石と称する二個の石がありますが琉球三山時代に 勝連の
殿様が城を築いた際、喜界島民に夫役が課され全島の若者を集めて
この石を持ち上げさせて 体力を試し夫役の人夫として使えるか
判断したという由来があるそうです。


この勝連屋敷の周辺にて『阿伝集落』と呼ばれる町並みを散策♪
台風対策として先人は屋敷の周囲にサンゴの石垣をめぐらせ
防潮や防風をしていました。
昔は人馬が通れるだけの道路を確保して家々を囲っていた石垣も、
自動車普及に伴い道路拡張工事によって現在主流のブロック塀へと
変わりつつある中、この阿伝集落では、先人の知恵が積み重なっている
昔ながらの石垣を多く目にする事が出来る貴重なエリアです。
人と自然の関わりを示す文化や集落の景観が評価され、平成29年3月
7日に国立公園に指定されました。


で、そのまま島の中の長閑な畑の中を走って行くと
『城久遺跡』へと辿り着きます。
喜界島は、周囲約48kmの小さい島ながら実は縄文時代や
古代〜中世の遺跡があわせて150もあります!
その中でも城久遺跡群は、10世紀〜15世紀の喜界島を代表する
遺跡と言われています。
奄美大島が見渡せる高台に立地し、遺跡からは白磁やガラス玉、
徳之島で焼かれていたカムィヤキ、役所の跡等限られた場所でしか
見つからない越州窯系青磁などが見つかっています。
当時、城久遺跡群は奄美・沖縄諸島にとどまらず広く東アジアの
交流に重要な役割を果たしていたのではないか、などと
考えられています。

・・・・壮大な発掘現場、もしくはその跡地があると思って
訪れたものの、発掘現場は調査が終わったら、すっかりと
埋めなおされており、辺りは畑・・・むしろ藪??(汗)

遺跡感は0です(涙)


気を取り直して再び山を登って行きます!
目指すは『レーダー基地跡』!!
はい
結局、この路線ですね(苦笑)

喜界島の最高地点である七島鼻には、戦時中、米軍の攻撃に備え
旧日本軍の電波探知(レーダー)基地が設置されていました。

喜界島最高地点=喜界島で一番空に近い場所です!
(最高地点211,962m)
戦時中は敵機来襲をいち早く捉えて戦闘部隊へ報告する電波探知機隊が
駐屯しており、現在も通信所跡が残っています。


最後は島の空港近くに残る『掩体壕』へ!
中々見つけられず、目印の消防団の倉庫周辺を何度もグルグルしながら
何とか発見!

普通に何度も通り過ぎていた道の下。
道路側から完全に死角にありました(汗)

太平洋戦争末期、現在の喜界島空港周辺は沖縄の敵艦隊へと向かう
特攻機が整備・給油を行うための中継飛行場となっていました。
当時、特攻機を米軍の爆撃から守るため、数箇所に掩体壕が
建設されました。
コンクリート製はこの一つだけで 残りは木の枝などで
カモフラージュしただけの簡易なものでした。
このコンクリート製の掩体壕は主に戦闘機の整備場として
使用されていたようです。


後は飛行機の時間までする事も無い!
飯を食おうにも飯屋が無い!(爆)
辛うじてあった店も休憩中?で閉まってる(涙)

喜界島は柑橘類が有名らしいので実家の土産にと探したのですが
時期が悪く、地元のスーパーにも置いておらずに
途中で降ってきた土砂降り雨に当たってびしょ濡れになる始末(涙)

黒糖など買って、レンタカーをかなり早めに返して空港で
時間を潰す事に・・・

空港唯一の土産物屋兼食堂で昼飯を食いながら
試食の黒糖のお菓子が美味しくて試食分を食い切りました(マテ)

土産物屋で同じ物が売っていたので買おうと思ったのですが
・・・・・以外に高くて断念!
その分、試食で我慢した次第であります!!(激しくマテ!)

元々は喜界島発の飛行機の時間は16:25だったのですが
別の島から喜界島に向かっている飛行機が強風と大雨の影響で
遅れていて、まさかの1時間待ち(汗)

・・・・ま〜これだけ台風直近でウロウロしていて飛行機が
飛ぶだけ有難いか(苦笑)

予定を1時間遅れて17:30頃、喜界島を出発
予想以上に喜界島上空は穏やかで、揺れもせずにあっと言う間に
18時前に奄美大島の空港へと戻って来れました♪

さて、本来であれば17時前に奄美大島へ戻り奄美大島北部の
観光の予定でしたが、思わぬ1時間のロス(汗)

どこまで取り戻せるか分かりませんが頑張ってラストスパート!!
まずは空港近所の『土盛海岸』へ突撃!
土盛(ともり)海岸は、奄美大島のビーチのなかでも
トップクラスと言われるほど白い砂浜と日本ではあまり見る事の
出来ないエメラルドグリーンの海が美しいビーチです。

地元の人からも評判がよく、空港からも着いてすぐに行ける距離
なので観光客にも人気です。

リーフに囲まれた遠浅の海で波も穏やかなので海水浴には
ピッタリで色鮮やかな小さな魚が泳いでいる姿も見られるので
シュノーケリングも楽しめそうですね〜

ま〜マリンレジャーの予定は無いので
綺麗な海を眺めて即時撤収(笑)

続いては『あやまる岬』です
奄美大島の北側の笠利町にある景勝地で奄美十景になっています。

岬がこんもりと丸い地形で、綾織の毬に似ているということから
「あやまる岬」という名がついたのだそうです。
左手に最北端の笠利崎、右手に土盛海岸の美しい珊瑚礁の海を
眺められ、太平洋に面していることもあり、日の出スポットとしても
有名だそうです。

さ〜海、海と続いたら

『赤木名城址』・・・・・・・・山です(笑)
赤木名城は、鹿児島県奄美市笠利町にある城跡で12世紀に築かれ、
17世紀まで使用が確認された国の史跡に指定されている城址です。

奄美では最大規模の山城跡なのですが、いつ誰が造ったものなのか、
ハッキリと分かっていないそうです(苦笑)

平成18年に始まった発掘調査の結果では、12〜17世紀を中心に
当時の権力者(按司や琉球、薩摩など)の影響をうけ、政治や軍事の
拠点として形成・再利用を繰り返されてきた遺跡とみられて
いるそうです。

赤木名城跡へ行くには、まず赤木名中学校と郵便局の間にある
「国史跡・赤木名城跡」と書かれた、小さな青い案内板の
ある道を進むのですが・・・・

この看板がかなり喧嘩を売っていて
普通、看板ってこっちに字が見える様に設置されているじゃないですか

何で案内の字が空を向いているのかな〜?

案内板があるって言うか、案内板が塀の上に乗っているって
言う状態が正しいですね(怒)
お蔭で超至近距離まで行くまで気付けずに、目の前まで行って
何度も迷子になったわ!!(怒)
道の先には、突き当たりに次の案内板が置かれており、その奥には
秋葉神社の鳥居が見えます。

神社の先へと進むには藪が凄かったので、神社周辺の遺構と
案内板を見て撤収しました。
奄美はリアルにマムシ以外にはハブが怖い(汗)

序に近所にあった『奄美代官所跡』を見学。
藩政時代には、大島全体を統治する行政機関が置かれ、薩摩藩の
役人が出入りしていたと云われる施設跡です。

イヌマキの木とサンゴの石垣が残されていて、建物は無く空き地が
広がっているだけですが石塀は、高さ1m、幅1m、長さ28mと
広い範囲で残っていたので予想していたよりも見応えがありました。

名瀬に戻る前に有名な鶏飯の店があったので寄ったのですが
何故か閉まっていました(涙)
売り切れ次第終了って店なので、今日は売り切れたのか!?

泣く泣く暗い奄美の道を走り名瀬まで戻ります(涙)
ホテルに車を置いて、昨日目の前を通った時に気になっていた
「くろべえ」と言う豚骨ラーメンの店に入る事に!

軽く飲みながら餃子を食って、ラーメンを食って満足!

コンビニで夜食などを買って部屋に戻りシャワーを浴びて
寝ます!
何せ明日も早起きしないといけないので(汗)

あ〜そうそう
コンビニで買ったピノの中にハートのピノが入っていて
地味にラッキーでした☆

このラッキーが明日の旅に生きてくれると良いな〜(笑)

続く




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