| 2017年09月05日(火) |
南洋の九州2(沖永良部島) |
朝、頑張って起きて朝食を食って出発です!
天候は晴天♪
・・・・・・・・って言うか、メッチャ暑い(汗) 昨日も暑かったけど、明らかにレベルが違う!! 危険なくらい暑いぞ(汗)
そんな中、まず向かったのは『按司根津栄神社』 琉球の兵から島を守った英雄を祀る神社です。 按司根津栄は「アジニッチェー」と読みます。
・・・・って、まず読めないから(汗)
按司根津栄は島の守り神にして武術の神様。 何せ伝説では1000人の琉球兵を1人で撃退した猛者です!
猛者過ぎるだろ!(爆)
さてさて 与論島最後のポイント・・・・・『与論駅』へ
駅風のオブジェクトです。
えぇ だって与論島に電車も列車もモノレールも無いからさ 駅だって言われても・・・(汗)
1979年に日本国有鉄道(国鉄)の周遊券指定地に与論島が 含まれるようになって10周年となったことを記念し、鉄道のない 奄美大島・沖縄県(沖縄は2003年、ゆいレールが開業)へのPRと いう意味も込め、与論町が駅名標・モニュメントなどを設置したもの だそうです(苦笑) 5mばかりのレールの上に車輪が乗っているが・・・・・ 車両は存在しない!(ヲ)
因みに駅名標の文字は、片方が「鹿児島」もう片方が「沖縄」と なっていました。 アバウトすぎ(笑)
取りあえず、他にする事も無いので給油を済ませてレンタカーを 返します。
いや〜 ガソリン代が予想以上に高い!!!! 軽自動車で20kmも走っていないのに何故¥1000を 超えるの!?
離島怖いわ〜〜(涙)
レンタカーを返して、店の人に『与論港』まで送って貰い 船の時間まで寝てました(笑)
俺らが乗る船は「フェリーあけぼの」 与論着11:50で発が12:10 沖永良部(和泊)14:10着予定の便です。
いや〜爆睡していて、係員に「もうすぐ船来るよ」と起こして 貰いました(滝汗)
時間通りに船はやって来たのですが、どうらや沖永良部島の 当初の寄港地である「和泊港」は今日は使えないそうで、反対側の 『伊延港』に寄港するとの事・・・
困るーー メッチャ困るーーーー 今日の宿(&レンタカーも宿で借りる)は和泊港のそば徒歩圏内!
急いで宿に電話をして伊延港まで迎えに来て貰う手筈を整えます。
フェリーは大きい船なので殆ど揺れを感じる事無く 2等船室でも快適な空間だったので与論〜沖永良部の2時間
殆ど寝てました(笑)
予定通りに沖永良部島へと到着! 迎えに来てくれた宿の人の車に乗って和泊港のそばの 「ホテルシーワールド」へ移動して、チェックインと同時に レンタカーの契約を済ませてしまします!!
勿論今日は『沖永良部島』で1泊です。
時刻は15時ですが、まだまだ外は明るく・・・って言うか まだジリジリと暑い(涙)
更に俺らが行く場所は殆ど営業時間とか関係ない場所ばかり だから全然観光出来ちゃいます♪(笑)
まず向かったのは『ジッキョヌホー』 ジッキョヌホーは「瀬利覚の川」という意味。 島全体がサンゴ礁隆起で生成され、集落の中心にあるこの湧水は 生命の源として生活を支えてきました。 集落民の交流の場として活用されており、今も確りとした石造りの池 とその周辺に石の椅子などが置かれており、外国っぽい雰囲気を 醸し出してくれています(笑) 水はもちろん冷たくて超綺麗でした!
さて! 今日の! この島の!! って言うか、この旅のメイン!!! やって来ましたよ『昇竜洞』
鹿児島県の天然記念物に指定されている昇竜洞は、昭和38年に発見 され3500mのうち600mが一般公開されています。 全体として鍾乳石の発達が素晴らしく、特にフローストーンの規模は 全国でも最大級のものです。 昇竜洞は地下水が珊瑚石灰石を溶かし、一滴一滴の雫が作り出した 大自然の彫刻です。内部に連なる金や銀、宝石をちりばめたような 鍾乳石や石旬には、クリスマスツリー、音楽堂、ダイヤの御殿などの 名前がつけられ、見る人を神秘の世界へ誘ってくれます。
日本鍾乳洞九選の1つにして、今まで我々の旅で見てきたのが8つ 龍泉洞 (岩手県) あぶくま洞 (福島県) 日原鍾乳洞 (東京都) 飛騨大鍾乳洞 (岐阜県) 秋芳洞 (山口県) 龍河洞 (高知県) 七ツ釜鍾乳洞 (長崎県) 球泉洞 (熊本県) (過去日記参照) 最後の1つで御座います!!! 初めてこの9選を知ったのは第7期2012年の 湖北五山詣での時(過去日記参照) この時は本州の鍾乳洞は幾つかは行った事があったし、残りも日帰りで 行けるから余裕♪ 九州のも旅の行程を少し弄れば、ま〜何とかなるだろう!と 軽く考えていました。 昇竜洞 (鹿児島県) この(鹿児島県)が曲者でした(汗) てっきり鹿児島県の本土だと思っていて、後で住所を調べたら ・・・・・
はぁ!? 島?? って状態(滝汗) そんなこんなでやっと! 5年越しでの制覇です(涙)
ま〜鍾乳洞入り口と出口が遠くて、鍾乳洞探索の後に炎天下の中、 山道を登る羽目になり一気に感動が汗で流れていきましたが(ヲ)
お次は『住吉暗川』へ クラゴーと呼ばれています。 鍾乳洞の一部に穴があき、地下水を汲み取ることのできる場所を暗川と 呼んでいます。 深さ約30mから水を汲む仕事は女性や子供の仕事で、大変な 重労働であったそうです。 住吉暗川は地質学的に貴重であるとともに、水に関する過去の住民の 苦難の生活史を物語る場所としても重要だそうで、今も当時のままの 姿で残っています。 狭い洞窟内を数分歩いて行くと綺麗な水が湧き出る池が出て来ます。
折角、南の島に来て洞窟とか穴蔵ばかりだったので海を見よう!と 『田皆岬』に立ち寄って海分を補給(笑) 沖永良部島の北西端にある美しい岬で、奄美十景の一つです。 サンゴ礁が隆起した高さ51mの断崖絶壁で、崖から見下ろす コバルトブルーの海の景観と、白い波しぶきが岩を洗う荒々しい 風景は圧巻です!!
少し天気が崩れてきて雲が出てきましたが まだまだ行けるぜ! 『後蘭孫八城跡』 平家の落人の子孫で、優れた築城家としても伝説に残る後蘭孫八の 築いた城跡。
後蘭孫八城は、沖永良部島の中央部に近い後蘭の丘に築かれたグスク です。 これは城というよりも城館跡または、居館跡と言った方が正しいかも しれませんね
さっき海分を補給したのに、南の島に来ても雑木林の中に突入し、 木や草を掻き分けて進む何時もの仕様です(涙)
歩く事5分程で木々の中に分家の屋敷跡や本家の屋敷跡が確りと 残されています! 石垣なども見事に残っていて素晴らしい!! 他にも高倉・屋敷倉・井戸・風呂屋敷などがあり、さらに奥に行くと 2〜3mほどの窪みが30畳ほどの広さであります。 そこには他では見られなかった細い竹が立っていて、この場所が 本丸であったろうと推測されているそうです。 常識的にいえば、元来本丸というものは城内で一段高い場所を選んで 築くものですが、この孫八城のように低い場所に本丸を構えた城は かなり珍しいのではないでしょうか!? 本丸の奥には見張り所が3ヵ所ほどあり、グスクの末端には 孫八の墓もあります。
この近所に、孫八が仕えていた『世之主の墓』があります。 昭和41年3月11日に県の史跡に指定された遺跡です。 15世紀頃の琉球王朝時代、沖永良部島を治めていた島主である 悲運の世之主、真松千代の墓です。 石門で囲まれた奥に、サンゴ礁をくりぬいてつくった純琉球式の 立派な納骨堂が残されています。 真松千代は、15世紀ごろ、中山王の和睦船が来襲してきたものと 早合点し、妻子とともに自害したといわれます。 墓の中には世之主、正妻、嫡子の骨壺が安置されています。 案内板を読んでいたら近くには松千代の築いた城があるとの事!
なので探したらすぐに出てきた『世之主城跡』へも足を伸ばします。 世之主城跡は、沖永良部島の大城間切りのほぼ中央に位置している 城跡です。 現在は世之主城の頂部には世之主神社が建立されており、南は沖縄本島 北部から伊平屋島、伊是名島が眺望でき、北は徳之島を見渡せる 立地の丘に築かれたグスクです。
その築城については1400年頃に後蘭孫八に申し付け、三年がかり で完成したと云われています。
危うく急坂を藪を掻き分けて突入するところでしたが、寸前で裏の 神社と広場のほうから車で入れる事に気が付けて助かりました(汗)
さて! 日はまだ明るいですが、流石にこれ以上見て回ると明日が暇になって しまうので今日はここで終了です(笑) 宿は飯無しのパターンだったので近くのスーパーで買い出しです。
ご当地物を〜なんて思ってスーパーに入ったのですが、それっぽい 物は皆無!(涙) その代わりに揚げ物が激安でした! 揚げ物祭りIN沖永良部島が開催決定に(苦笑)
飯(揚げ物が大半)や飲み物やお菓子を買い込んで スーパーの向かいにあった地元の喫茶店で昼?晩?飯を軽く食って 行く事に♪
俺はオムライス 老ちゃんはトースト
旅情感0の食事を終えてホテルへ戻って 揚げ物祭り&飲酒です!
と言っても、そこまで大酒を飲まずに早めに解散して 今日は大人しく寝る事にします・・・
さ〜今年の夏の大旅行も今日で前半終了 今のところ、何時ものパターンで天気も好調で来ているので 後半戦も期待したいところです!
続く
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