起床! MICHEL「・・・・・・・メッチャ寒かった」
お疲れ様でした(笑)
朝食無しのプランだったので、荷物を纏めて即出発です! 途中のコンビニで朝飯を買って、駐車場と車内で速攻で食い終えて 今日は再び山間部へと入って行きます。
の前に、日向から少し北上して延岡にて『延岡城』を見学です。 天気は現在小雨 このまま粘れるか!?
延岡城の本格的な築城は、豊臣秀吉による九州平定において軍功の あった高橋元種が、元々この地にあった県城を改築して延岡城とし、 1603年に完成させました。 その後、城主は高橋・有馬・三浦・牧野・内藤氏と替わりますが、 有馬氏の時代に城名を延岡城と改め、城と城下町は更に拡大整備されます。
現在城跡は城山公園となって整備され、天守台跡・井戸跡・曲輪跡・石垣・ 復元城門などの遺構が良く残っています! 特に「千人殺し」と呼ばれる石垣が見事!! ・・・実はこの石垣には仕掛けがあり、1つの石を外すと石垣全部が 崩れて、千人を殺すことができるという伝説が!!
皆でどの石が怪しいか検分しながらワイワイと楽しみました♪
さて、これより今日のメインである高千穂エリアへと向かいます! 再び山道ですが、昨日の椎葉に比べれば道路は確りと整備されていて 一安心です(苦笑)(過去日記参照)
神話の発祥の地とも呼ばれ、日本神話において重要な舞台となった 高千穂の地は小雨と曇を行ったり来たりしているドンよりとした 空の下でも神秘的ですらありました・・・
ま〜観光客の多さがかなりのマイナスですがね(苦笑)
まずは『天岩戸神社西本宮』を参拝。 神話の中でもよく知られた天照大御神の天岩戸開き、天岩戸伝説を 伝える神社。 天岩戸神社には天照大御神が身を隠した天岩戸を祭る東本宮と オオヒルメノミコト(アマテラスの幼少の頃の名前)を祀る西本宮があり、 主に天岩戸神社と呼ばれているのはこの西本宮です。
西本宮は本殿を持たず、日本神話に登場する天岩戸であると伝えられる 洞窟を神体とします。
拝殿より対岸の天岩戸を参拝。
生憎昨日からの豪雨の影響で、神々が天照大御神を天岩戸から誘い出す 作戦会議をしたとされる河原へは増水で無情にも通行禁止になって いましたがね(涙)
殆どの観光客がメインの西本宮のみを見て帰るのとは違い、我々はちゃん と対岸の『天岩戸神社東本宮』も参拝して行きます♪
巨木に囲まれた参道。立派な拝殿と本殿。根がつながった三本杉。 落ち着いて確りと見て回れて、こちらの方が観光客で姦しくなくて 我々的には好印象でしたね(笑)
お次は『高千穂神社』へ 高千穂郷に建つ八十八社の総杜です。 1778年に再建された本殿は、五間社流造で九州を代表する大規模な 社です。 その本殿と鎌倉時代に源頼朝が奉納したという所蔵品の鉄造狛犬一対は 国の重要文化財に指定されています。 主祭神は高千穂皇神と十社大明神で、特に農産業・厄祓・縁結びの神 として広く信仰を集めています。
さて、いい具合に曇りに落ち着いてくれたので、心置きなく 『高千穂峡』へと突入〜〜〜♪
五ヶ瀬川にかかる峡谷で、阿蘇カルデラをつくった火山活動により、 約12万年前と約9万年前の2回に噴出した高温の火砕流が、当時の 五ヶ瀬川の峡谷沿いに厚く流れ下がり、この火砕流堆積物が冷却固結し 熔結凝灰岩となり、柱状節理が生じました。 熔結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再び V字峡谷となったものが所謂「高千穂峡」だそうです。 高さ80m〜100mにも達する断崖が延々7kmも続いており、これを 総称して高千穂峡と呼びます。
ま〜平時であれば、碧が揺蕩う水面に手漕ぎボートで浮かび、 大迫力の両サイドの絶壁や、滝から降り注ぐ水の間近まで接近出来る ビューポイント盛り沢山の景勝地なのですが・・・・
河川増水の為「本日ボートは貸出ししておりません」
・・・・・・・・・・・ま〜そうだよね〜〜(涙)
水は掻き回されて茶色いし〜 水の流れもメチャ急だし〜〜(汗)
・・・・ここに手漕ぎボートで逝けって言われても断るわ!(滝汗)
ま〜それでも滝の水は何時もよりもダイナミックに落ちていたし 岩場の迫力ある景色も遜色無く素晴らしいものでしたよ! 次の機会があれば、今度は是非にも晴れの日にボートで繰り出したい ものですがね(苦笑)
高千穂エリアを後にして、平野部へと戻ってきます。
昨日、宿に向かう途中で看板を見つけて行きたくなって 急遽予定に追加した『美々津』の町並みを散策します♪
江戸時代から明治時代に全盛を極め、日向と京阪神との経済、文化交流 の拠点であった美々津の町並みは、珍しくも河口にあります。 虫籠窓や京格子をはじめ、通り庭風の土間に代表されるような京都や 大阪の町家造りを取り入れた美々津の町並は、今なお当時の面影を 残しており、何ともノスタルジックな雰囲気を楽しめました(笑)
更に「日本海軍発祥の地」の碑が建っており、は?と思って 案内板を読んでみると・・・・・
あ〜なるほど! この地は神武東征御船出の地だったんだ!!
確かに海軍発祥の地だわ! ・・・・予想の斜め上を行くほど古い時代の海軍だったけどね(笑)
今日の宿は宮崎市内だったので、そのまま南下を続けます。 途中で幾つか寄り道をして行きます。
『高鍋城址』 古くは財部城と呼ばれ、築城年代は定かでないが柏木左衛門尉によって 築城され、その後財部土持氏の居城であったと云われています。 長禄元年、土持景綱が都於郡城主伊東祐堯と戦って敗れて滅亡。 財部城は伊東氏の持城となり、家臣落合民部少輔が城主となります。 しかし、天正6年に伊東氏は島津氏に敗れ城の所有は島津氏に・・・ 天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、筑前秋月城主秋月種実が日向の 串間へと移封になり、財部城は秋月氏の持城となり以降明治時代まで 秋月氏の居城として栄えます。
現在は歴史公園として整備されていて、ちょうど二の丸表門が公園の 正門となってします。 その周囲の二の丸虎口の石垣が一番の見所かな? 思った以上に確りと遺構として残っています♪ 更に二の丸から石段の登城道を登ると、広々とした本の丸へと辿り着 きます。 本の丸には御殿跡の礎石が所々に残されていて当時の様子を想像させて くれます!
次に寄った「佐土原城」はギリギリ閉館時間を過ぎてしまったので 明日の朝一にリベンジ決定です!!
さてそろそろ本日の宿をとった『宮崎』が近づいてましりました♪
その前に住宅地と山道を縫って進み『宮崎城址』へ 宮崎平野を一望するように南北に長く伸びた丘陵に築かれ、丘陵の南麓を 大淀川が流れる要害の地に南北朝時代、南朝方の城として築かれました。 勿論北朝方に攻め落とされて落城(笑) 時を経て宮崎城は伊東氏の所領となり、天文5年には伊東義祐が 佐土原城から居城を移し、飫肥城攻略の拠点になります! 伊東氏衰退後は島津の所領に。 更に歴史は進み、豊臣秀吉の九州征伐後・・・ 延岡城主高橋元種の所領となり権藤種盛が城代となった慶長5年の 関ヶ原の戦い! 高橋氏は西軍に与し、東軍に与した伊東祐兵・祐慶によって攻められ 落城!!
しかし! 高橋元種は東軍に寝返り本領安堵となっていた為、慶長6年に宮崎城は 高橋氏にそのまま変換され、頑張って城を攻めた伊東氏家臣の稲津重政 は、伊東氏家中で孤立し謀反の罪で誅されます(涙)
そんなドロドロしたリアル&政治闘争の舞台になった城ですが あまりのガチ山城っぷり&藪で登城口が覆われている&雨が降ってきた 等の理由により、登城口周辺を散策して終了〜(マテ)
最後の最後に『宮崎神宮』を参拝です! 宮崎市内に建立された大きな神社で、神武天皇を祀る由緒正しき 神社です。 神社の歴史は神武天皇の孫が神武天皇の神霊を鎮祭したのを創建と しているとの事で、その1点からだけでも歴史の古さが伺えます(笑)
明治40年に建て替えられたとされる本殿は、方3間の切妻造妻入。 前面に桁行4間の両下造の渡殿が接し、正面7間側面4間の幣殿に続く 伊勢神宮の神明造の影響が強く出ています。
今夜のホテルも晩飯無しのプランだったので、宿に入る前に腹拵えを して行きます♪ 「栄養軒」なる宮崎ラーメンの有名な店に決定! 焦がしラードの利いたスープは豚骨ベースの薄い醤油味。 一見コッテリ目に見えるが、食べてみると以外とあっさりしたスープに、 中太ストレートでこしの強いが特徴との事・・・
定義的には微妙ですが(マテ) 味は文句無しに美味かったです!!
さて本日の宿『ホテルJALシティ宮崎』に到着です。 車ごと上がるエレベーターの違和感に皆で気持ち悪くなりつつも チェックイン終了! 今日はシングルで個人部屋なので、各自部屋に荷物を置いて暫し 休んでからロビーに集合です。
何だか台風がどんどん接近してきてヤバイ!ってニュースがガンガン やっていて気が滅入りますな(涙)
徐々に風が強くなり雨も降り出してきましたが、知った事かと飲み屋へ GOです♪(笑) 今日の飲み屋は、昨夜が鶏肉メインだったので海鮮メインで! ホテルの近所で見つけた「うお座」に突入ーーーー!!!!
旬の魚とかはあまり詳しくないけど、そんなのは釣り人MICHELに 確認すれば万事OK! 彼のオススメの刺身やタタキを頼んで、焼酎やサワーと各々好き勝手に 呑みだします(笑)
で、昨夜に続き、またも頼んでしまったフライドポテトは もはや呪いの域に達したか!?
飲んだ後、途中のコンビニで飲み物とかだけ買い込んで 大人しく部屋に帰って就寝です・・・
夜中、強風で窓がガタガタ鳴り、大雨の音がドバーーーと凄くて 明日以降はどうなる事やらと不安になりましたが・・・
でもきっと何とかなる気がしたので、そのままグッスリと寝ま〜す(ヲ) 2日目も皆さんお疲れ様でした〜
続く
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