| 2005年11月26日(土) |
スピーキング・ウィズ・エンジェルズ |
Jリーグは上位も下位もかなりおもしろいことになってるのですがとりあえず今は違う話をします。
きのうにひきつづき、暗い話なので注意してください。
「本当にね、何もかもすばらしく、美しいからね。それというのも、すべてが真実だからだよ。馬を見てごらん、人間のわきに寄り添っているあの大きな動物を。でなければ、考え深げに人間に食物を与え、人間のために働いてくれる牛を見てごらん。なんという柔和な表情だろう。自分たちをしばしば無慈悲に鞭打つ人間に対して、なんてなついていることだろう。あの顔にあらわれているおとなしさや信頼や美しさはどうだね。あれたちには何の罪もないのだ、と知るだけで心を打たれるではないか。」
(ドスト/カラマーゾフの兄弟/第六章・ロシアの修道僧)
愛犬アルカージィ君ですが、今朝早くに、世を去りました。 もうすこし、もうすこしだけは一緒にいられるかと思ってました。昨日面会した時点で、あと一晩だけ治療してもらって、それで無理なようだったらもう朝いちばんで家につれて帰ってずっと一緒にいようと思っていたのですが、叶いませんでした。でも苦しんだ時間は短かったようで、暴れもしなかったようなので、それだけはよかったと思います。 私は前にも一度飼い犬が死んでいますし、祖父母もみんな他界していますし、お葬式にも何度か出たことはあるのですが、それでも、遺体をこの腕に抱いてつれて帰ったり、花も供え物も何から何まで自分で用意するというような、そういう別れは今までしたことがありませんでした。(前の犬が死んだときにはちょうど一ヶ月家を離れていて、何も知らされていなかったのです) よくドラマや映画にはありますが、ほんとうにすぐに、冷たく、重く、かたくなってしまうのですね。そしてこれもまたよく言われてることですが、やっぱり、いつもの場所の、いつものベッドに寝かせると、眠っているようにしか見えませんでした。よく考えたら人の寝ているところってあまり見ないですけど、犬は普段ほとんど寝てるから、いつもと変わらないようなのです。ただ起きてこないだけなのです。 それから、かわいがってくれていた友人にとりあえず報告の電話をしたら、「天使になるんだね」と言われました。それを聞いて、9年前のアルカージィ君が家にきた日、その寝顔を見て母が「天使みたいね!」と言ったことをふと思い出しました。
そして午後、花とおもちゃと好きだった食べ物を棺につめて、葬儀場で火葬にしてもらいました。さいごまで、ほんとうに天使みたいにかわいい子でした。
なんでこんな話からはじめなければならないのかよくわかりませんが、私は小学生のときイギリスに夢中で、アガサクリスティを読み耽り、ガーデニングからアフタヌーンティーまで自分でこそこそやっている小学生でした。そこで両親が「中学生になったら夏休みにイギリスに連れて行ってくれる」という約束をしてくれて、中学受験も私は最初あまり乗り気じゃなかったのですが、イギリスに行きたい一心でがんばって、どうにか受かりました。 しかし、姉が音楽をやっていて親がそれに尽力しなければならないという事情から、中学一年の夏、その約束は先延ばしになり、その次の年もおなじ理由で、約束は先延ばしになりました。今であればどうってことないのですけど、当時は姉が理由で自分の望みが叶わないというのは大変ショックで、イギリスに行けないことだけでなく、姉と自分を比較して他にもいろいろ悩んでしまい、私は長いこと苛ついた状態のまま陰鬱に過ごしていました。
そんな状態の私を見かねた両親がちょうど夏休みにはいるときに私に与えてくれたのが、アルカージィ君でした。そして私はその夏を暗く過ごす代わりに、朝から晩までかわいい子犬の世話に夢中になりました。飼い方の本を買って、ご飯を作り、しつけをし、名前を考えました(私はずっと犬につけたかった名前があって、10歳くらいのときから頭の中の架空の犬にその名をつけたりしていたので、アルカージィ君にもその名をつけました)。 それからずっと、私が家に帰ってきたときはたとえ終電の時間帯でもアルカージィ君は玄関まで迎えにくるし、夕食後はいっしょに遊ぶし、眠そうなときは私がベッドに連れて行ってやり、夢にうなされているときはさすってやり(犬も夢を見るのです)、雷や風に怯えるときは一緒に寝るという、ずっと、そんな9年間でした。 動物を飼う理由は「可愛いから」とか「癒されるから」とかいろいろ思われるでしょうが、考えてみれば、人間同士で、無条件にそんな純粋な信頼関係がずっと築けるものでしょうか。そんなふうに相手に何の感情も隠さず素直に接し、何もかも頼られ、甘え、恥ずかしげもなく信頼と愛情を示し続けることは、簡単にできるのでしょうか。そう思うと、私がアルカージィ君としてきたことはすごく貴重でした。プライドや意地や悪意や卑屈さ、そういったなんの感情の隔たりもなく、ずっと接してきたのです。私のような人間はアルカージィ君がいなければ、けっしてそんなことは誰ともできませんでした。きっと私に限らず、動物を飼っている人はみんなそういう感動を味わえるのでしょう。ペットの存在が特別だというのは、きっとそういうことなのでしょう。
今日、自然と口をついて出るのは「ああどうしよう!」という言葉でした。今は、この穴をこれからどうやって埋めればいいのかほんとうにわかりません。それは、いままでしてきたそれは、いったいどこへ行ってしまうのか、どうしたらいいのか、どこへ行ってなにをするべきなのか、なにをしたら代わりになるのか、代わりなどないのか、どうしたら、いつどうしたら誰のためにもいいのか。
とにかく悲しむのは悪いことじゃないと思うので、今は思いきり悲しむことにします。 アルカージィ君との9年間に、愛と感謝を。
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