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2004年06月18日(金)
私が子供だった頃の話。
私は怖い話や悲しい話が大嫌いだった。
たとえば、「フランダースの犬」とか「小公女セーラ」とか、子供向けのアニメーションで主人公が辛い目に遭いだすと、テレビを消してそれ以降その話の続きを一切見ようとしなかった。
私は物語に感情移入しすぎてしまうところがあり、その悲劇の主人公達の辛さには耐えられなかったのだ。
困難や悲しみに対して逃げ腰なのは、大人になった今でも変わらない。
辛いことには目を合わせない。
哀しい現実は見ない振りをする。
この前、誰でもない人に「現実から目を逸らすな」といった内容の言葉をもらった。
私は言った
「無理です。私は死にたくありません」
最近、私の周囲では会社を辞めたり、リストカッターになってしまった友人などが続出している。
ふと思う。彼らと私の違いは、見ているか、見ていないかだけなんじゃないかと。
だから私は彼らの脆弱さに呆れながらも、一欠けらの敬意と尊敬を感じている。
でも私はそっちへは行きたくない。
だから見ない。
目を瞑ってお化け屋敷を駆け抜けるの。
お化け屋敷の平気な人たちは言う。
「それってお化け屋敷に入る意味あるの?」
ええ、ありますとも。
「見ない」けど私は「逃げない」から。
「逃げた」人だって、ちゃんと「見た」んだもの。
でも、ごめんね
私は「見ない」から、私は「逃げた」人たちが見た「怖いもの」の話も聞きたくないの。
「そんな怖いものなんて、何処にもないじゃない。なんで逃げるの?」
って言ってしまうの。
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