海老蔵の取材自粛要請に週刊誌が応じない理由(ダイヤモンド・オンライン 6月25日)今月十日夜のブログに、海老蔵氏はこう綴った。そして、九日に会見を開き、麻央さんの病状を打ち明けたのは、実家周辺への取材を自粛してほしかったからだと説明する。その後も海老蔵氏は取材陣に自粛を要請する旨を綴り、十七日のお願いで自粛要請は五回を数えるに及んだとのことだ。 〈多くの記事を目にします。まおのことに関しましては雑誌の方々、静かに見守ってください。よろしくお願いします。何度も何度も申し訳ございません〉(17日) 海老蔵氏の気持ちは理解しているが、しかし、そこで“はい”と引き下がったら、雑誌メディアは存在意義を失う。と同時に、海老蔵氏はその自粛要請がご自身とメディアとの決別を意味していることを理解しているだろうか? 取材を自粛もしくは切り上げる条件として、私たち現場の取材者は海老蔵氏にこんなことを申し出るだろう。であれば、今後はご子息の襲名・ご披露に関する取材および舞台・公演の宣伝を自粛させてもらいます、と。これは海老蔵氏だけでなく、すべての芸能人に言えることなのだ。婚約だ結婚だの慶事のときにはマスコミを呼んで幸せアピールに余念がない一方で別居だ離婚だ不倫だとスキャンダルのときは逃げるのはどうなのかと。 私たちは芸能人や著名人の慶事を報じさせてもらう。おめでたい話は皆で分け合いたいという気持ちがあるからだ。その代わり、祝い事を報じたように、訃報のような不幸をはじめゴシップやスキャンダルも同様に追わせてもらう。それがフェアな報道だからだ。 海老蔵氏の気持ちを理解したうえで繰り返すが、彼の自粛要請は、このフェアさ、暗黙の了解を反故にする申し出でもあるのだ。書く・書かれるという双方の立場はあっても、書く・書かせないという関係性はないからだ。そんな理不尽があるとすれば、それは言論を封殺する軍事政権国家か彼の大国か北のあの国くらいのものだ。 取材される側を含め、この理屈がわからない人は芸能界やマスコミで働けないだろうし、それでもなお週刊誌をひどいと思う人は週刊誌を読まなければいいだけの話だ。ワイドショーをひどいと思ったらワイドショーを見なければいい。記事の一部のみ引用していますが、取材対象者がいなければ成り立たない商売のくせに、最後まで読んでいる人を不快にさせるものすごく傲慢な物言いの記事ですね。いろいろ言い訳めいたことを上から目線で書かれていますが、祝い事も不幸もゴシップもスキャンダルもプライバシー暴露も大衆心理を煽って売れるからやっているのだ、特に人の不幸ほど大衆の欲求を満たすのだ、と素直に開き直ればいいのにと思いました。以前に既成メディアがネットは不寛容社会と批判するので、マスメディアだって市川海老蔵さんと妻の小林麻央さんが家族で話し合い病気のことを公表せずに静かな環境で治療を進めることを決めて治療を進めてきたのに、売れさえすればいいと新聞や雑誌の記事によって勝手に公表されてしまい、海老蔵さん家族の願いが壊されたことで、既成メディアがやっていることも不寛容だろうということをこの日記とツイッターにも書いたら、ある女性の方から「有名人の病気なんてみんなが注目する話題だから暴かれて当然です」というような返信をいただいたのですが、こういう人が居るからこの手の報道がなくならないんだろうなぁと実感しました。>それでもなお週刊誌をひどいと思う人は週刊誌を読まなければいいだけの話だ。>ワイドショーをひどいと思ったらワイドショーを見なければいい。雑誌が売れたりテレビは見てもらわなきゃそこで働く記者は生活できないくせにこの傲慢さと勘違いぶりに閉口させられますね。確かに嫌なら見なければいいだけなのですが、(私も有益な情報を得られない週刊誌とワイドショーは避けてますし。)物を作って提供する側が「嫌なら見るな」と言うのは自分の作っているものに後ろめたいものを感じている証拠だと思います。