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2016年06月21日(火) もう必要なくなったので解散します。

シールズ 参院選後に解散へ「声を上げる流れできた」 (毎日新聞 6月20日)

ラップ調の「コール」で安全保障関連法に反対する抗議行動をリードし、
若者の政治参加の象徴的存在にもなった「SEALDs」(シールズ)は、
参院選後に解散する。中心メンバーの奥田愛基(あき)さん(23)は
「安保法廃止の目的は達成できず、50点」としつつ、
「市民の側から声を上げる流れはできた」と感じている。

「民主主義って何だ」「これだ」。コールとレスポンスと呼ばれる参加者同士の軽妙なかけあいは、
抗議行動に参加するハードルを下げた。
「普段の自分でありながらデモに参加する。デモのやり方を変えたい」という思いから生まれたものだ。
一方で達成できていないこともたくさんある。
「安保法も廃止できていない。だから50点」

 シールズ結成後、奥田さんは各地の集会で講演する多忙な日々を過ごしてきた。
「今は変化の途中で、選挙はまだ政党や労働組合などの限られた人だけのものになっている。
去年はデモの光景が変わったとして、今年は選挙の光景を変えたい。
参加型のカルチャーを若者にもっと定着させたい」と言う。

 注目され、息苦しく感じることもあった。
元々、人前で話すことが苦手だったという。中学時代に不登校を経験し、
生まれ育った北九州市から沖縄の離島の学校に転校。孤独と向き合ってきた。
スピーチは今も恥ずかしいという。
「たかだか学生団体で、できることも時間も限られる。多くの人の助けも必要だし、
みんながもっと主体的になったら良いな、シールズみたいなのがいっぱいできたら良いな」

 シールズは昨年5月の発足時に活動は今夏の参院選までと決めていた。
「解散を『もったいない』って思う方がいるなら、
その人たちがまた新しいことを始めてほしい」と、後に続く学生らに期待している。

 参院選後は大学院で政治学の勉強に専念するが、個人として政治参加は続ける。
「若者の政治参加と言われるけど、被選挙権は衆院が25歳、参院が30歳。
これも引き下げても不思議ではない。もっと若い世代の政治家が出てきてほしい」


政治的主張をすることで目立ちメディアにも取り上げられるようになり、

サヨ系の教授に気に入られ大学院進学とステップアップ。

着実にエリートコースを渡り歩いて将来は安泰になったので、

笛吹いてタイコ叩いてタコ踊りする集まりに専念しなくてもよくなったのでしょう。

「あとの奴らの将来は知らん勉強してないやつも含めて自己責任や。」といったところでしょうか。

奥田氏のような頭の回転がよく計算高い人なら世渡り上手にいけますけし、

サヨクの将来性を見込まれてステップアップできますけど、

SEALDsに参加しているサヨ系メディアなどに踊らされて

サヨっけに目覚めただけの普通な学生たちは政治運動に没頭しすぎて、

落第した進学できない就職できないと嘆いているメンバーもいるので、

一緒にドンチャン騒いでいた人達が一番惨めですね。

 
【発掘!流行り歌 徒然草】Perfume「リニアモーターガール」(2005年) メジャーデビュー秘話(夕刊フジ 6月21日)

★Perfume「リニアモーターガール」(2005年)

 アーティストの獲得にはいろんなケースがある。2004年の秋ごろ、
大手芸能事務所のスタッフ3人が「何とかして売り出したいユニットがいる」と僕を訪ねてきた。
それが「Perfume」だった。

 彼女たちの音を聞くとボーカルはボコーダー処理されて、よく分からない。
サウンドはテクノミュージック、売りはダンスという話だった。

 70〜80年代、テクノグループのYMOが世界で話題になったが、
今の若い世代には新鮮に映ったかもしれない。
椎名林檎で味わった音楽的違和感と違い、絵画的、空間的違和感を覚えた。
難しく言ってますが、いずれにしても、よく分からなかったということです。

 僕は一言、「チーフがやるなら、やりましょう」で終わった。

 後日、メンバーに会うと、3人とも瞳が輝いていた。
自分の子供より若い高校生に何を話したらいいのか、少々戸惑ったことを覚えている。

 インディーズで頑張っていたとも聞いていたから、安心して頑張ってほしいという思いを込めて、
「3枚ぐらいは大丈夫だよ」といった。

 後で知ったのだが、メンバー3人はこの言葉にいたく傷ついたそうだ。
自分たちは夢の実現に向かって広島から上京して、日々努力しているのに、
軽く対応された気持ちになったと…。
今はすぐに結果を問われる時代だから、
安心させるつもりで言ったのだがうまく伝わらなかったようだ。

近未来をイメージした楽曲作りは中田ヤスタカ氏のプロデュース。
作詞から作曲、アレンジまで全てひとりでやるからスタッフは出る幕がない。

 メンバーも歌入れは壁に向かって歌うみたいなものだから、感情移入が難しかったのかもしれない。
僕が中田氏に会ったのは、3枚目あたりのころ。
それぞれの顔が見えなくても事が済んでしまう。
まさに近未来型レコーディングだった。

 編成会議で試聴したが社員からは気の利いた発言は何もなかった。
歌詞もタイトルが聞き取れるぐらいだから仕方がない。
年配たちには林檎に次ぐ違和感だった。

 2005年、「リニアモーターガール」でメジャーデビューを果たし、
翌年には「コンピューターシティ」をリリース。
そのころには、ネット上の漫画サイトや、動画サイト「YouTube」などで
大量に書き込みが投稿されようになった。

 ネット配信の時代にのったのか、メンバーのダンスとテクノサウンドが若者にフィット。
あれよあれよという間に大ブレークしていった。 (敬称略)

 ■獅子丸好(ししまる・こう) 本名・篠木雅博。徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問。
1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で
制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。
徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。


>「3枚ぐらいは大丈夫だよ」といった。

Perfumeは「思い出作りに3枚だけ出してあげるね」と

言われたと当時を振り返るときによく言っています。

徳間の人は励ましたつもりでもPerfumeはそう思えなかった。

双方で行き違い思い違いがあったものと思われますが、

徳間ジャパンからの帰り道にある坂道で悔しくて、

「私たちはPerfumeに人生すべてを賭けているし上京してきたのだから、
3枚で終わらせるものか!思い出で終わらせるものか!」と

3人が「3枚だけ」の言葉に怒り燃え上がり頑張ってきたことにより、

国内のみならず世界でも人気となった今の状況があるので結果オーライですね。









名塚元哉 |←ホームページ