ネットで千羽鶴論争が起きています。ことの発端はこの記事に関しての反応からなのですが、被災地への千羽鶴 「いらなかった」の声続出(ニコニコニュース 4月22日)4月14日以降、熊本県など九州地方で続く地震では50人近くの犠牲者が出て、今も10万人近くの住民が避難を余儀なくされている。現地では水や食料などの物資が不足し、支援物資が上手く回らないなどの混乱が続くなか、ネットでは「折り鶴」の是非が議論の的となっている。日本では古来より折り紙で鶴を折って、それを病人に贈る風習が存在する。「鶴は千年、亀は万年」という慣用句もあり、鶴はめでたい生き物の代表。思いを込めながら鶴を千羽折り、それを束ねて「千羽鶴」として贈る光景は高校野球においても見られるものだ。しかし熊本地震が発生すると、ツイッターには「被災地いらなかった物リスト」というハッシュタグが登場。リストには「古着」「賞味期限の短い食物」などもあげられたが、千羽鶴に関しては、「全部を飾る場所もなく、きちんと糸で止められていなかったりする物も多く、大量に送られると迷惑です。 焼却処分(焼き鳥)しました」「東日本大震災のとき宮城にいましたが、千羽鶴君、これ本当にあなた方の自己満足でしかないんじゃないですか?」「私、東日本大震災で被災しました! その時にダントツでいらなかった物は千羽鶴! 贈られても役に立ちません!」など、厳しい意見が続出。「寄せ書き」とともに“いらないものリスト”にあげられた。そんななか注目を集めているのが、広島市で行われている「おりづる再生プロジェクト」だ。原爆の被害を後世に伝える平和記念公園には、平和を願う世界中の人々から毎年10トンもの折り鶴が送られており、広島市はそれらを焼却するのに年1億円を使っているのだそう。同プロジェクトは折り鶴を回収・選別して再生紙として利用し、「おりづる再生名刺」として販売して、利益の一部を原爆ドーム保存事業基金に寄付する取り組みを行っている。“折り鶴論争”のなかで、このプロジェクトがにわかに脚光を浴び始め、ツイッターには、「電子折り鶴をポチると送金するシステム作ればいいんじゃないかな」「被災地にどうしても折り鶴を送りたくて仕方ないって人はお札で折るといいよ」「折り鶴もいきすぎると『自粛』と同じように『被災者を本当に想うなら、、それではなく、、』って話なんだろうね」「変な行動起こす前に『一体何が相手の助けになるか』を立ち止まって考えましょうって話だよな」といった声が寄せられている。被災地に贈られる千羽鶴には復興を願う人々の思いが込められていることは確かで、広島市の場合は受け入れを拒否しているわけではない。ただ、支援物資の提供は、配布したり保管したりする労力やコストが受け取り側にかかることにもなる。現場の状況や時間の経過で必要なものが変わる被災地への支援は、その時々で適切な品が何なのかを考えることが大切といえそうだ。※当記事は2016年04月21日に掲載されたものであり、掲載内容はその時点の情報です。時間の経過と共に情報が変化していることもあります。この記事関して、善意の気持ちを受け取らない被災者は何様のつもりだ!と怒る人が続出。被災者の「千羽鶴はいらない」に激怒する人達 -Togetterまとめ怒っているのは、もっぱら中高生の若い世代なのですが、千羽鶴は自分の善意や祈りの気持ちを時間をかけて1羽づつ折り、それがたくさん集まることにより善意が形となって見た目にも分かりやすいからこそお小遣いを募金することに躊躇う子供たちにとっては、一番手っ取り早くて気持ちよくなれる慈善行為なのでしょう。学校が道徳教育の一環として折らせているということもあるでしょうけど、全国の学校でそれを行えば被災地には百単位千単位…もしかしたらそれ以上の千羽鶴が届いてしまうことで、被災地にとってはありがた迷惑なモノでしかなくなります。被災者が言う「被災地に千羽鶴は要らない」発言に、自分が被災者となって避難所にいた場合、救援物資が届いたと思って箱を開けたら中身は千羽鶴だったときに自分だったらどう思うかとか自分なりに「なぜ要らないという声が出ているのか」を考えてみる子供と「人の善意を要らないと言うな!」と怒って被災者に暴言まで吐いてしまう子供とでは、きっと後者のほうが相手の立場になって考えてみることができていませんので、「被災地に千羽鶴を送りたい」という善意の気持ちを汲みとりつつもそれは被災地の復興にとっては意味がないということを分かりやすく諭さないと自己満足を他者に押し付ける自分本位なので、独りよがりの善意は迷惑を掛けることにも繋がってしまうことに気がつかないで、精神的に成長できないまま大人になってしまいそうな気がします。