土曜日は娘のお食い初めだった。
朝からお赤飯を仕込んでお料理の準備。大げさな料理は作らなかったのだけど、娘をあやしつつ料理をするのは大変だった。食事の支度は毎日しているのだけど、いつもよりも少し面倒な物が多かったので。ちなみに献立はお赤飯、鯛の塩焼き(魚屋さんで焼いてもらったもの)ほうれん草のお浸し、蛤のお吸い物、高野豆腐の炊き合せ、天麩羅の5品。
大変だったけれど、けっこう楽しかった……と言うのも、定番料理ではあったけれど「普段より贅沢な材料」を使っていたのだ。普段なら特価の物と、品物のいい高いものがあったら迷わず特価の物を選ぶのだけど、お祝いのお料理にケチがついてはいけないと全て「高い方」で作ったのだ。蛤もエビも、そこそこの値段を出したら立派な物が買えるのだなぁ……と他人事のように感心してしまった。
鯛の塩焼きだけは魚屋さんに注文して焼いてもらったのだけど、持ち帰るのに往生した。予想していたよりも箱が大きくて、他の買い物があったにも係わらずベビーカーのカゴが一杯になってしまったのだ。「中くらいの大きさの鯛」を注文したのだけれど、鯛を入れる箱は「特大の鯛」が入る大きさだったのだ。大きな箱に入った「中くらいの大きさの鯛」は中でスカスカと動かないよう詰め物と一緒に入れられていた。
夕方、夜勤明けの夫を起こして、娘を見てもらっている間に天麩羅を揚げた。準備が出来た頃に愚弟と乙女な母が到着。こじんまりと、お食い初め。お食い初めのお膳には、作った料理の他にも「小石3つ」が並べられた。食べられないものを並べるなんて変な感じだけど「丈夫な歯が生えてきますように」と言うことらしい。夫に抱かれた娘は少し眠たくてボーッっとした顔で、料理を食べる真似事など。お食い初めは「食べる物に困らない人生が送れますように」との願いを込めて行うそうだが、娘には食べ物に感謝しつつ、美味しく食事が戴ける人生を送って欲しいと思う。
お料理も美味しくて、なごやかな集まりとなった。
娘も生後100日。新生児の頃は「気持ちよく抱いてくれたり、あやしてくれたら誰でもOK」だったのに、最近は私で無ければ駄目だという場面が増えてきた。我が子を愛情で縛り上げてしまうタイプの母親の気持ちが少し分かる気がする。それくらい娘が可愛くてならない。娘が私にベッタリになりがちなのは、母として嬉しくも誇らしいことだけど、頑なに自分1人で抱え込んでしまわないように気をつけねば……娘には沢山の人に愛される子に育って欲しい。私が付き合ってやれるのは娘の人生のほんの一部でしかないのだから。
娘が無事に大きな区切りを迎えられて嬉しい。これからもスクスクと成長して欲しいものだなぁ。子の成長を見守るのが、こんなに幸せな事だとは知らなかった。そんな幸せに感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。