白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年06月28日(金) 盛大にサミシがって、盛大に送り出そう。

親しくさせていただいていてた方のHPが閉鎖されてしまった。
↑諸事情により、リンクとかはしてなかったのだけど。
閉鎖といってもネガティブな意味のものではなくて
「新しい門出」的なものだったので、心から「おめでとう」と思ったし
私自身、色々と勉強させていただくことが多い場所だったので
「ありがとうございました」の言葉を捧げたいと思う素敵な幕切れだった。

また、ネット世界のどこかでお逢いすることもあるだろうし
「もう2度と逢えない」ってな訳でもなんでもないのだが
それでも「HPの閉鎖」というのは何度経験しても慣れることができない。
ネット世界に限ったことではなく
現実世界だって、別れにサミシサがつきまとうのは同じなのだが
自分の中に占める比重によって、そのサミシサの重さは違ってくる。
たとえば…話をしたことのない、隣の係の人が転勤していくのと
親しくさせていただいていたHPが閉鎖されるのとを比較するなら
後者の方が、ずっとサミシイと思うのが人情ってものである。

「たかがネットの付き合いぢゃないか」

そう言ってしまえば、それまでのことなのだが
私には、どうしても、そんな風には思えないのだ。
私は自分が考えている以上にネットに依存しているのかも知れない……
どんなに親しくしていたところで、どんなに大切に思っていたところで
そんな事とは関係のないレベルで「別れ」は必ず訪れるものなのだが
どこか「ずっと一緒にいられるといいなぁ」というような
子供っぽい感傷を捨て切れずにいたりなんかするようだ。
私も、いつか日記やHPを閉じる日が来るのに……である。

はぁぁぁ。なにをウエットな方向に走っているのだか。
まぁ、いいか。サミシイ時は、盛大にサミシイ思いを噛み締めよう。
で、もって、盛大に去り行く人を送り出すのだ。
門出を祝う気持ちに嘘、偽りはないのだから。
「その方」の今後の人生が、幸せいっぱいであることをお祈りしつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


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