白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月01日(月) 繋がることの摩訶不思議。

ネットを、うろうろ、ほっつき歩いていると
思わぬ場所で、思わぬ知人と出会って吃驚することがある。

しめし合わせて集っている訳ではないのだけれども
「見てるだけ〜」専門のHPに知人が遊びに来た足跡があったり…
「こいつは面白い穴場を見つけた」と思って飛び込んでみたら
なんと常連に知人の名前があったり…
直接コンタクトを取ったことはないのだけれど
なぜだか、どこに出掛けてもお見掛けしてしまう人がいたり…

同じような趣味や、感性を持った人だから
同じ場所に集ってくるのは、当たり前と言えば当たり前のことだから
何も吃驚するような事はないのだけれども
それでも予期せぬ場所で知人と出会うと、驚いたり、ニンマリしたりする。

「繋がってるなぁ」と感じる瞬間は「出会い」に限った事ではなくて
日記のような読み物系(テキスト系)のサイトだと
「書いた物」で「繋がっているなぁ」を感じることとも多々ある。
それは「リンク」のような形の直接的な繋がりでなくても
「あの人の書いたもの」と「あの人の書いたもの」が影響しあっていたり
繋がりの広がり様と比例するかのように
サイト・マスターの文章力が目に見えて上がっていったり。
影響を与えたり、受けたりして、成長していると言うか……

小洒落た言葉に置き換えると「研鑚」あたりがピッタリくるかも知れない。

先日『六の宮の姫君』 北村薫 創元推理文庫 を読んだのだ。
言葉と魂が影響して……という内容の小説だった。
芥川龍之介をはじめとした、大物文豪にまつわる物語で
ミステリー・推理系なので、筋はご紹介できないのだけれども
繋がりとか、影響とか、そういった事を、しみじみ思った1冊だった。

「繋がり」には、陽の部分もあれば、陰の部分もある訳なので
それら全てを素晴らしい物だと断定することは出来ないのだけれども
たとえ、それを望むと望まざるとに関わらず
人間という生物は複雑に繋がっている……というか
強引に繋げられている……ということを感じずにはいられない。
結び目や、繋ぎ目に、意味があるかどうかは分からないけれども
なんとなく、それに「意味付け」をしてみたいような気持ちになるから
「縁」なんて言葉が出来たのではなかろうか。

もっとも、ウダウダと考えなくたって
そのテのモノが繋がる時は、嫌でもなんでも繋がってしまうのだし
また切れる時は、いとも、あっけなく切れてしまったりするのだから
それなりに身を任せていれば、イイようなものなのだけれど。

たまには、そんな事を考えてみるのもイイよね♪
などと誤魔化して終わろうかと思ったのだけれども
要するに今日も、また「読書感想日記」なのである。
私の中では「食べる」「寝る」「ウ○コする」と同じレベルで
「読む」「書く」が存在するので読書感想文は多くなりがちなのだ。
……ってことで、今日の日記は、これにてオシマイ。

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今日は仕事が早く終わってラッキーだった。
帰宅してPCを繋いだら嬉しいカードが届いていて
もっとラッキーな気分になってしまった。
繋がることは摩訶不思議なり……と思ったりした日曜の夜なのだった。


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