白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年03月19日(火) 「気持ちイイ」を追求する。

『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』 田口ランディ の感想の続き。
……と言うか、エッセイを読んで、ふと思ったことなど。

作品の中で作者が重度障害者のボランティアをする体験が書かれていた。
慣れないことに、とまどいながらも、作者は「あること」を発見する。
「介護とは理屈ではなくて気持ちが良ければイイのだ」と。
たとえば、足の指のまたを丁寧に拭いてもらうとか
たとえば、熱いタオルを首筋に乗せてもらうと気持ちがイイとか。

感情や思考とは別のところに存在する「気持ちイイ」という肌感覚。

恥ずかしながら私は福祉関係の仕事に就きたいと思い
学生時代に肢体不自由児施設に、入り浸っていたことがある。
思いおこせば、あの頃は考えも浅かったし、今より更に馬鹿だった。
色々な体験をして、笑って、泣いて、考て、私が出した結果は
私には肉体的にも精神的にも、そのテの仕事は向いていない
……という物だったのだが、得たものは大きかったと思う。

あの場所で私もランディ氏と同じく「気持ちイイ」って素晴らしい…と思った。
そういう場所で仕事をする人は、少し話が違ってくるかも知れないが
ボランティアなんて、立派な言葉をかぶせなくたって
個人的に「気持ちイイ」を追求していけば良いんぢゃないかと。

ボランティア時代の経験を、ここで書くのは憚られるので
亡父の看護をしている時に私がリアルで感じたことを少しばかり。

亡父の最後は、頭も、身体も、まったく駄目になった状態で
俗に言うところの「食事の世話」「下の世話」は大事業だったのだが
食事もとれなくなった時点でも「下の世話」をする時の
亡父の表情は「気持ちイイ」そのものだった。
おチン○チン、キン○マの裏側に付いた汚物を拭う時の亡父の表情は
男の性としての「気持ちイイ」ではなかったけれども
人間として、生物としての「気持ちイイ」を感じていたのだと思う。

なにも「気持ちイイ」は介護だけに限った感覚ではないだろう。

ぶっちゃけて言えばセックスだってそうなのだし
もっと身近なところだと入浴の時「はぁ。極楽」と感じる事もそうだし
凝っていた身体を誰かに揉んでもらうことも当てはまるし
撫でてもらう、手を繋ぐ…といった基本的な動作だって当てはまる。
……もっとも、相手を必要とする行為の場合は
相手に好意を持っているかどうかがポイントになるのだけれども。

身体で感じる「気持ちイイ」は人間にとってポイントが高いと思う。

もちろん、心で感じたり、頭で考えるのだって大切だし
どこを1番に持ってくるか、どれくらいの割合で感じるかは
人それぞれだと思うのだけれど
身体で感じる「気持ちイイ」は他の2つよりも本能的で
しかも、しぶとく染み付いている感覚なんぢゃないかと思う。

今の季節だと「春の日差しが気持ちイイなぁ〜」とか、そんな感じ。

ココロも大事。アタマも大事。だけどカラダも大事だよなぁ。
……なんて事を思いながら
今日の日記は、これにてオシマイ。


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