白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2002年03月18日(月) 『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』〜切り捨てない美学〜

『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』 田口ランディ 幻冬舎文庫 を読んだ。

一時期、活字好き、かつネット好きな人々を
思いっきり熱狂させた「ランディ・ワールド」は
私も、ご多分に漏れず夢中になっていた時が、あったのだけれど
「ずっと共にしたい」作品と言うよりも
「衝撃的で吃驚しちゃった」作品が多くて
しかも最近は「やや食い飽きた」感があって
久しく手を付けていなかったのだけれど
久しぶりに手に取ってみると、やっぱり面白くて唸ってしまった。

『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』は
田口ランディお得意のエッセイ集だった。
文庫化されただけあって、時事ネタ的な物は賞味期限を過ぎているし
なによりも扱っているテーマは社会性の高い物が多いので
ちょっぴり堅い目で、真面目な印象を受けた。

ひとことで表現するなら「とても常識的な人が書いた文章」といった感じ。

彼女の作品は、ちょっぴりアウト・サイダーな人々を扱った物が多くて
うっかりすると「突拍子もない人」的な印象を持ってしまいがちだけれど
じっくり読み込んでみると彼女の意見は常識的で、真面目で、お堅い。
そこそこ年を経た大人の女性の意見であって、新しいところは何もない。

それなのに彼女の作品を評価してしまうのは
彼女はアウト・サイダーになっちゃった人達、事件、事柄に対して
頭から否定したり、嫌ったり、蔑んだりしないからだと思う。

たとえば「児童虐待事件」があったして……
「それは悪い」「酷い親だ」「今の社会は歪んでいるのだ」などと
事件を否定的に捉えるのは簡単なのだが
彼女は、そこで「ちょっと待てよ」と考えてみる。
そして「やっぱり酷いんぢゃないか」と思いつつ
しかし決して頭から、それらの事を否定したりはしないのだ。
曖昧と言えば、その通りなのだが、彼女の意見は、たいてい
………(てん・てん・てん)のような形で締められている事が多い。
私は、この「てん・てん・てん」を彼女の「憂い」なのだと思って読んだ。

どんな事でも否定して、切って捨てるのは簡単なのだ。
嫌だとか、嫌いだとか、理解できないとか、好きになれないとか……

切り捨てないというのは、ある種の美学だと思った。

思えば私の日常生活は「切って捨てる」事が多いような気がする。
場合によっては「切って捨てる」事も大切なのだけれども
考え方や、感じ方だけは切り捨てたるのを慎みたいと思った。

そんな、こんなで本の感想など書いてたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。
↑とか言いながら明日も「ランディ・ネタ」が続くかも。

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今日もまた、1つの日記が終わりを告げられた。
「さようなら」とか「ごくろうさま」よりも
「ありがとう」の方が、しっくりくるなぁ。
今まで読ませていただいてありがとう。
あなたの、行く道に光がいっぱい溢れていますよ〜に。


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