白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年11月08日(木) ネットの闇。そして光。

私の祖母は鬱病の果てに自殺という道を選んでしまった。
↑10月付けの日記参照。
私にとってはショックな出来事だったのだけれど
それでも私にとって祖母はワンクッション隔てた間柄であり
「子供」「親」「夫」「恋人」ほど密な関係ではなかったので
不遜にも私は思っていたのだ。

「ショックだったけど私は大丈夫。ぜんぜん傷ついてなんかいない」

実際のところ、祖母は病気だったのだし
私自身、精一杯祖母と向き合ったという思いがあったので
ちゃんと受け止めて消化できると思っていたのだ。
が。
人間の感情ってヤツは私が思っていたより複雑だったようで。
「祖母の自殺で私はとても傷ついた」
・・・という事実に自分自身が気付いたのは
祖母が逝ってから半年以上経ってからだった。

祖母が自殺してから私は自分でも気付かないうちに
「ある部分」が変わっていた。
「現実世界」で係わっている人達や、
ネット上でお付き合いしている人達が発した
「死にたい」という言葉や「死にたい」という感情に対して
過剰なほど反応するようになってしまっていた。
毎日、毎日「生きるの死ぬの」といったことを考えている訳ではないけれど
「死を望む心」に対してピリピリしている私がいる。

お願いだから、それだけは勘弁してくれ。勘弁してやってくれ。

祖母が自殺してから、私は何度同じ言葉を言ったり書いたりしたことか。
自分でも「そこまで神経質にならなくても」と思うのだけれど
どうしても反応してしまうのだ。

当たり前の話なのだが
身近な人に自殺されちゃったら誰だって傷付くのだ。

だが「傷付いてる」と思っているだけでは何の解決にもならない。
ネットを探訪していると
私と同じ・・・それ以上の経験をした方が大勢おられる。
自らのHPに思いを書き綴っておられる方。
「自死遺族」が立ち直るためのHPを作っておられる方。
ネットの世界は「毒」で溢れているなぁ・・・と思うこともあるけれど
ネットでしかできない「優しい行為」もあるのだなぁ・・・と思う。

「闇」が濃く存在する場所には「光」だって同じだけの強さで存在する。
影響力や伝達力は「闇」の方が強烈だとは感じるけれど
それでも「可能性」とか「希望」とか「再生」とか
そういう物に目を向けてきたいと思う。

・・・なんだか今日は真面目光線ビンピンで照れくさい。
こっ恥かしくなったところで、今日はオシマイ。


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