とうとう判決が出ましたね。光市の母子殺害事件。
個人的な感想ですが、 「やっと決まったか・・・」 という感じです。正直、この事件に関しては一審・二審で無期懲役が出た事が信じられなかった。 『まだ年齢的に若く、更正の可能性が否定できない』 という理由が挙げられてたけど、犯行後一貫して反省の態度が見えない被告のどこに『更正の可能性』があるって!?と不思議でならなかったので。
この事件に関する報道の中で、頻繁に『永山基準』という言葉が出てきて、よく聞くけど意味を詳しく知らないな〜と思ったので調べてみました。事件の概要などはコチラを見て頂くとして、この事件から生まれた『死刑になるか否かの基準』とは以下の9項目。
1. 犯罪の性質 2. 犯行の動機 3. 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 4. 結果の重大性、特に殺害された被害者の数 5. 遺族の被害感情 6. 社会的影響 7. 犯人の年齢 8. 前科 9. 犯行後の情状
ついでに、上でリンクしてるwikipediaからの引用。
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殺害された被害者の数
この判例以降、4名以上殺害した殺人犯に対しては、裁判所が被告人の犯行時の心神耗弱を認定して無期懲役に減刑して判決をした事例を除けば、裁判所は原則としては死刑判決を適用している。また、1名だけを殺害した殺人犯に対しては強盗や身代金目的誘拐など金銭目的ではなく、殺人の前科がない場合は、死刑判決を回避する傾向がある。
2008年に差し戻し審議による死刑判決が言い渡された光市母子殺害事件ではこの基準における「前科」「年齢」「被害者の数」などにおいてこの判例を大きく覆す判決となり、今後この永山基準がどのように審議されていくかが注目されている。
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引用、終わり。
私、どこかで『2人以上殺したら原則として死刑』って聞いた事あるんだけど、それは成人の場合なのかな?犯人が未成年の場合は、この『永山基準』に照らして『4人以上だと死刑』になる事が多いって事でしょうか。
でも個人的には、なんの落ち度もないのに不幸にして殺されてしまった2人以上の命と、自己の欲望やさしたる理由もなく無関係な人を殺す外道1人の命が同等に扱われるのかと思うと腑に落ちないので、1人でも殺したら基本は死刑でもいいんじゃないかと思うぐらいなのですが。もちろん、理由や状況による情状酌量は必要だろうけどね。
本村さんにはただただ感服するばかりです。この事件を通して、きっとものすごく勉強したんですよね、この方。妻と子供を理不尽に殺されて、普通ならひたすら感情的になって犯人を罵っててもおかしくないのに、いつも冷静に自分の意見を述べてた。それも、自分こそが正義と信じ込んでの上から目線の発言じゃなくて、常に客観的に法の範囲内でフェアであろうとしてるのが伺えました。
きっと、この9年の間にいろんな目にあったと思うんです。死刑賛成派の代表みたいに見られて戸惑った事もあるそうですし、心無い人のバッシングに晒された事もあると聞いてます。
本村さんが『遺族』という言葉を口にするたびに 「本村さんこそが遺族であるはずなのに、なんでそんな他人事みたいな言い方するんだろう?」 と引っかかってたのですが、最近になって、本村さん以外にも『遺族』がいるんだという事に気付きました。
娘と孫を一度に失った弥生さんの家族。そして、孫を殺された本村さんの家族。
それ以来、本村さんがメディアに出ているのを見るたびに、亡き妻の家族や自分の家族をこれ以上苦しめないように守るために自分1人が表に立とうとしてるんじゃないか・・・と感じて、その愛情と無念さに胸が締め付けられる思いでした。
弁護側は即日上告したそうですが、高裁が一度は 「死刑にしない理由がない」 と差し戻してる事を考えると、かりに高裁で争う事になっても結果は変わらないんじゃないかと。それなら、もうこれ以上本村さんを苦しめないで欲しいので、上告自体が棄却される事を願いたいです。
死刑になったからって奪われた2つの命は帰ってこないんだけど、この判決が出た事によって本村さんの心が少しでもラクになれたらいいな、と思います。
そして願わくば、いつかまた本村さんにも家族が出来ますように。人生を共にしたいと思えるような出会いがありますように。
人生の1割をこんな辛い戦いに費やした人だからこそ、残りの人生は幸せに過ごしてほしいです。まだ32なんだもん。私と同い年なんだよ。思い出だけを伴侶にこの先ずっと1人で生きるのは、きっと寂しいよ。
弥生さんと夕夏ちゃんの事を忘れるんじゃなくて、忘れないまま、その事も含めて丸ごと愛してくれるような人と出会えますように。そう願わずにはいられません。
本当に、お疲れ様でした。
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