| 2007年02月26日(月) |
障害者差別とはどういう事か。 |
お気に入りのHPを廻っていたら、気になる話を見つけました。まずは、下記のリンクを読んでから先に進んでください。
『書いて置けよ、わかるように』
内容を要約してもいいんだけど、できれば、私の言葉じゃなくて当事者の言葉で状況を把握して欲しいので、敢えて要約はしません。リンク先を読んで頂いたものとして以下を書きますね。
この件で、一番まずかったのは、加害者である『障害者』の母親の対応だと思う。
確かに、やった子供に、悪意や相手に対する敵意はなかったのかもしれない。でも、どんな状況であれ小さな子に暴力をふるって泣かせたのであれば、まずは謝罪をするべきだったんじゃないだろうか。
にもかかわらず、怒って抗議する『被害者』の母親に対して 「障害者なんです、わからないんです、怒らないでください」 の一点張り。
悪意がなければ許されるわけではないし、ましてや、障害者であればなんでも許されるなんて事は絶対にない。それなのに一言の謝罪もなく、『こっちは障害者なんだから、許されて当然』という態度をとれば、そこには当然 「障害者だったら何やってもいいのか」 という反発や 「これだから障害者は」 という更なる差別意識しか生まれないのですよ。
まぁね、いくら娘に蹴りを入れられて頭に血が昇ったからって、この『被害者』の親の 「だったら、胸に『障・害・者』って書いて置けよ。わかるように」 とう言葉は暴言だと思います。でも 「公園に連れてくるなら、見張っておけよ。他の子はどうなってもいいのか」 という言葉は正しいとも思うのです。
その『加害者』である障害児の普段の様子はわからないけど、今まで一度もそんな事したことないのにいきなり3歳児に蹴りを入れるとは思えないから、普段も多少の攻撃的行動はあるのだと思う。だったら、外見から障害がわからないのならなおの事、そういう行動があるってわかってる親が気をつけておくのが責任というものじゃないでしょうか。
気になるのは、この母親が 「この子は障害者だからわからない」 と決め付けてしまってる点です。
最初にリンク先の文章を読んだ時には 「外見でわからないって事は知的障害かな?」 と思ったのですが、追記までよく読んでみると聴覚障害であるらしい。(まぁ10歳ぐらいの外見なのに事情はさておき3歳児に蹴りを入れたって事は、軽度の知的障害もあるのかもしれないけど)
障害児だから言ってもわからないと諦めてしまうのではなくて、時間がかかっても根気強く教えていかなければいけないのですよ。障害のない子なら3歳や4歳でわかるような事でも、障害があるから10歳15歳ぐらいまでわからないかもしれない。でも、それでも親はたとえ15歳までかかろうが18歳までかかろうが、わかるまで教え続けなきゃいけないんです。
ましてや、本人の目の前で 「障害があるからわからないんです!」 「差別ですね」 と連呼してしまうなんて、親が子供に 『お前は障害があるから理解が悪い』 『お前は障害があるから差別されてるんだよ』 と繰り返し教え込んでるようなものじゃないですか。
障害があってもそれを引け目に感じることはない、差別されるいわれはないと一番に言ってあげなきゃいけない立場の『親』が、ある意味一番の差別をしてしまっている。そしてその事に、この『加害者』の親は気付いてない。
一応福祉を学んだ者として、障害児を育てるのがどれ程大変かって事は多少はわかります。きっとこの『加害者』の親は、毎日いろんな所で謝り続けて疲れ切ってしまってるんだろう。でも、だからって障害がある事を免罪符のように振りかざして子供の非を正当化してはいけないのです。
追追記に書かれたやり取りを見ると、この障害児の親もなんだかずいぶん被害者意識が強い人だという感じがする。それはきっと、今までにいろんな所で受けてきた差別や辛い体験がそうさせてるのだろうけど、『障害者だから、悪気はないんだから、許されて当然。怒る方が差別だ』という開き直りには違和感を覚えます。
今日、大学時代の友人(=社会福祉学部の卒業生)と集まったのでこの話をしてみたのですが、全員一致で 「それはその障害児の母親の対応が悪い」 という見解でした。 「問題は悪気があったかなかったかではないし、どっちにしても障害児なら許されるという事ではない。それを切り札のように使ってしまったら、ますます障害児への風当たりが厳しくなるだけ」 と。
なんだかいろいろと考えさせられたケースでした。
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