| 2002年11月07日(木) |
盗まれた記憶の博物館 下 |
あすなろ書房 ハードカバー ラルフ・イーザウ 著 酒寄進一 訳
ある宗教の神様が、別の宗教でも神様だってことはよくあるのです。 儒教やら仏教やらでもそれはわかりますが ユダヤ教、イスラム教なんかにもそういうことはあります。
そして、権力に取り付かれた人間が自らを神に例えることもよくあることで そういう人は本来の名の他に「反逆」という名で呼ばれることもあるのです。 つまり、日本でも元服したり、主から賜ったりして名を変えることがありましたが 海外においてもそういう風にいくつもの名で呼ばれているものがあって いくつも名を持っている場合、どの名がその者の真の名なのかというのは 現代ではとうに忘れ去られてしまっていたりします。
この話は失われた記憶を取り戻す旅の話でもあり 記憶を盗む者、クセハーノの真の名を探る冒険の話でもあるのです。
忘るるなかれ。
忘れるということが酷い罪だということも世の中にはあるんですよ。
電車に乗っているとき私は大体ヘッドホンで音楽を聞きつつ読書してます。 なんか人に言わせるとどっちか1つにしろよって感じらしいんですが 人が多くざわついた電車の中で読書に集中するにはヘッドホンが不可欠なのです。
で、音楽を聴くのがメインではないので 音漏れには気を遣って音の大きさを調節しているつもりなんですけど アレって自分ではわかりませんからどうしようもないんですよね〜。
この前、朝の混んでいる山手線で凄いことがありました。 隣に立った女の子がものすごい音漏れさせていたのですよ。 ヘッドホンして音楽聴いている私にも何の歌を聞いているか聞き取れる。 歌詞が聞き取れるんですよ!? ヘッドホンしていない周りの人にはどれほどの音量だっただろうと思いますね。
自分のつけている香水の匂いがわからなくなってしまうみたいに ヘッドホンをしているとどれだけの音かがわからなくなってしまうんでしょうか?
まぁ、ヘッドホンであまりに大きい音で聞いていると耳が悪くなるって言いますけどね。
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