★ランキン@JRA馬券道場名人&社長の馬券日記

日記目次前日へ翌日へ


2011年01月14日(金) 「新美南吉記念館」に行ってきました

http://twitter.com/MtanGM

ツイッター始めました。アカウントはMtanGMです。M単関連のハッシュタグは #mtan でお願いします

−−−

これは昨日(木曜日)の日記。


ニート16日目。

この日は3日連続みたいな感じで、M単関連の作業を午前中にやり、午後からはちょいとお出かけ。

午後は半田で行われた雇用保険の説明に出掛けました。私、一応住所は東海市に置いてあるので、管轄は半田になるんですよ。

M単作業を終えた11時に出発。自転車でいってみました。片道15kmくらいでしょうか。結構イイ運動になります。




画像。ハロワ近くにある半田名物の赤レンガ建物。昔はビール工場だったそうです。


半田街道という道路を使ったんですが、歩道が狭かったりして自転車で走るにはちょっと怖い箇所もありました。

本来法律的には、確か自転車というのは車道を通らないといけないんですが、現実問題として車道を自転車が走ってたら、クルマも自転車も危ないんで歩道を走ってます。


13時半から始まった説明会は滞りなく行われ、15時半に終了。事前に自分で確認済みの事しかなかったので改めて何か…という事はありませんでした。


さて、帰るか…と思ったんですが、ふと道路に「新美南吉記念館」の文字が…。


何度も近くは通った事があるんですが行ったことはない…。

ってわけで行ってみました「新美南吉記念館」。


「新美南吉」と言われてもピンと来ない人もいるでしょう。

実は「ごんぎつね」の作者です。半田にとっては、郷土の誇りというヤツですね。


ところで、「ごんぎつね」ってどういう話だったっけ?案外忘れてしまっています…。ま、中に入れば思い出すか。




ちょっと変わった感じの建物。

やってるのかしら?…という感じの入り口を開けるとやってました。


210円を支払って中へ。

早速「ごんぎつね」のコーナーが。たくさん絵本がありますが、そのうちの一つを手にとって読んでみました…。


※ここから「ごんぎつね」のお話しです


=====

ごんぎつね


◆1

これは、私が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんから聞いたお話です。

昔は、私達の村の近くの中山(なかやま)という所に、小さなお城があって、中山様というお殿様がおられたそうです。

その中山から少し離れた山の中に、「ごんぎつね」というきつねがいました。ごんは、独りぼっちの小ぎつねで、シダのいっぱい茂った森の中に、穴を掘って住んでいました。

そして、夜でも昼でも、辺りの村へ出てきて、イタズラばかりしました。畑へ入って芋を掘り散らしたり、菜種がらの干してあるのへ火をつけたり、百姓(ひゃくしょう)家のうら手につるしてあるとんがらし(とうがらし)をむしり取っていったり、いろんなことをしました。


ある秋のことでした。二、三日雨がふり続いたその間、ごんは、外へも出られなくて、穴の中にしゃがんでいました。

雨が上がると、ホッとして穴からはい出ました。空はカラッっと晴れていて、もずの声がキンキン響いていました。

ごんは、村の小川の堤まで出てきました。辺りのすすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川には、いつもは水が少ないのですが、三日もの雨で、水がドッと増していました。

ただのときは水につかることのない、川べりのすすきやはぎのかぶが、黄色く濁った水に横倒しになって、もまれています。ごんは、川下の方へとぬかるみ道を歩いていきました。

ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深い所へ歩きよって、そこからじっと覗いてみました。

「兵十(へいじゅう)だな。」と、ごんは思いました。兵十は、ぼろぼろの黒い着物をまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる「はりきり」という網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、円いはぎの葉が一枚、大きなほくろみたいにへばり付いていました。

しばらくすると、兵十は、はりきり網のいちばん後ろの袋のようになったところを、水の中から持ち上げました。その中には、しばの根や、草の葉や、くさった木切れなどが、ごちゃごちゃ入っていましたが、でも、ところどころ、白い物がきらきら光っています。それは、太いうなぎのはらや、大きなきすのはらでした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみといっしょにぶちこみました。そして、また、ふくろの口をしばって、水の中へ入れました。

兵十は、それから、びくを持って川から上がり、びくを土手に置いといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。

兵十がいなくなると、ごんはぴょいと草の中から飛び出して、びくのそばへ駆けつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんは、びくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっている所より下手の川の中をめがけて、ぽんぽん投げこみました。どの魚も、トボンと音を立てながら、濁った水の中にもぐりこみました。

いちばん終いに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、なにしろぬるぬると滑りぬけるので、手では掴めません。ごんは、じれったくなって、頭をびくの中につっこんでうなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッといって、ごんの首へまき付きました。そのとたんに兵十が、向こうから、

「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」

とどなりたてました。ごんはびっくりして飛び上がりました。うなぎをふりす捨てて逃げようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまき付いたまま離れません。ごんは、そのまま横っ飛びに飛び出して、一生懸命に逃げていきました。

ほら穴近くのはんの木の下で振り返ってみましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

ごんはホッとして、うなぎの頭を噛みくだき、やっと外して、穴の外の草の葉の上にのせておきました。




十日ほど経って、ごんが弥助というお百姓のうちの裏を通りかかりますと、そこのいちじくの木のかげで、弥助の家内が、お歯黒を付けていました。かじ屋の新兵衛のうちの裏を通ると、新兵衛の家内が、かみをすいていました。

ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな。」と思いました。「なんだろう、秋祭りかな。祭りなら、たいこや笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが。」

こんなことを考えながらやってきますと、いつの間にか、表に赤い井戸のある兵十のうちの前へ来ました。その小さな壊れかけた家の中には、大勢の人が集まっていました。よそ行きの着物を着て腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋の中では、何かぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ。」と、ごんは思いました。「兵十のうちの誰が死んだんだろう。」

お昼が過ぎると、ごんは、村の墓地(ぼち)へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんの影に隠れていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根がわらが光っています。墓地には、彼岸花が、赤いきれのように咲き続いていました。と、村の方から、カーン、カーンと、葬式の出る合図です。

やがて、白い着物を着た葬列の者たちがやってくるのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。葬列は、墓地へ入ってきました。人々が通ったあとには、彼岸花が踏み折られていました。

ごんは、伸び上がって見ました。兵十が、白いかみしもを着けて、位牌をささげています。いつもは、赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、今日はなんだかしおれていました。

「ははん、死んだのは、兵十のおっかあだ。」ごんは、そう思いながら頭を引っこめました。

その晩、ごんは、穴の中で考えました。

「兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで、兵十が、はりきり網を持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取ってきてしまった。だから、兵十は、おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのまま、おっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらしなけりゃよかった。」




兵十が、赤い井戸の所で麦をといでいました。

兵十は、今までおっかあと二人きりで、貧しい暮らしをしていたもので、おっかあが死んでしまっては、もう独りぼっちでした。

「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。」こちらの物置の後ろから見ていたごんは、そう思いました。

ごんは、物置のそばを離れて、向こうへ行きかけますと、どこかでいわしを売る声がします。

「いわしの安売りだあい。生きのいい、いわしだあい。」

ごんは、その威勢のいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、うら戸口から、

「いわしをおくれ。」

と言いました。いわし売りは、いわしのかごを積んだ車を道ばたに置いて、ぴかぴか光るいわしを両手で掴んで、弥助のうちの中へ持って入りました。ごんは、そのすき間に、かごの中から五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十のうちの裏口から、うちの中へいわしを投げこんで、穴へ向かってかけ戻りました。途中の坂の上で振り返ってみますと、兵十がまだ、井戸の所で麦をといでいるのが小さく見えました。

ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

次の日には、ごんは山で栗をどっさり拾って、それをかかえて兵十のうちに行きました。

裏口から覗いてみますと、兵十は、昼飯を食べかけて、茶わんを持ったまま、ぼんやりと考えこんでいました。変なことには、兵十のほっぺたに、かすりきずが付いています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとり言を言いました。

「いったい、だれが、いわしなんかを、おれのうちへ放りこんでいったんだろう。おかげで俺は、盗人と思われて、いわし屋のやつにひどい目にあわされた。」

と、ぶつぶつ言っています。

ごんは、これはしまったと思いました。「かわいそうに兵十は、いわし屋にぶん殴られて、あんな傷まで付けられたのか。」

ごんはこう思いながら、そっと物置の方へ回って、その入り口に栗を置いて帰りました。

次の日も、その次の日も、ごんは、栗を拾っては兵十のうちへ持ってきてやりました。その次の日には、栗ばかりでなく、松たけも二、三本、持っていきました。




月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶら遊びに出かけました。中山様のお城の下を通って、少し行くと、細い道の向こうから、誰か来るようです。

話し声が聞こえます。チンチロリン、チンチロリンと、松虫が鳴いています。ごんは、道のかた側に隠れて、じっとしていました。話し声は、だんだん近くなりました。それは、兵十と、加助(かすけ)というお百姓でした。

「そうそう、なあ、加助。」

と、兵十が言いました。

「ああん。」

「おれあ、このごろ、とても不思議なことがあるんだ。」

「何が。」

「おっかあが死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗や松たけなんかを、毎日毎日くれるんだよ。」

「ふうん、だれが。」

「それが分からんのだよ。おれの知らんうちに置いていくんだ。」


ごんは、二人の後をつけていきました。


「ほんとかい。」

「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。その栗を見せてやるよ。」

「へえ、変なこともあるもんだなあ。」

それなり、二人はだまって歩いていきました。

加助がひょいと後ろを見ました。ごんはびくっとして、小さくなって立ち止まりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさと歩きました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓のうちまで来ると、二人はそこへ入っていきました。ポンポンポンポンと、木魚の音がしています。まどの障子に明かりが差していて、大きなぼうず頭がうつって、動いていました。ごんは、「お念仏があるんだな。」と思いながら、井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また、三人ほど人が連れ立って、吉兵衛のうちへ入っていきました。

お経を読む声が聞こえてきました。




ごんは、お念仏がすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、またいっしょに帰っていきます。ごんは、二人の話を聞こうと思って、ついていきました。兵十のかげぼうしをふみふみ行きました。

お城の前まで来たとき、加助が言いだしました。

「さっきの話は、きっと、そりゃ、神様の仕業だぞ。」

「えっ。」

と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。

「おれはあれからずっと考えていたが、どうもそりゃ、人間じゃない、神様だ。神様が、おまえがたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんな物を恵んでくださるんだよ。」

「そうかなあ。」

「そうだとも。だから、毎日、神様にお礼を言うがいいよ。」

「うん。」

ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。「俺が栗や松たけを持っていってやるのに、その俺にはお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃあ、俺は引き合わないなあ。」




その明くる日も、ごんは栗を持って、兵十のうちへ出かけました。兵十は、物置で縄をなっていました。それで、ごんは、うちの裏口から、こっそり中へ入りました。

そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねがうちの中へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎを盗みやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。

「ようし。」

兵十は立ち上がって、納屋にかけてある火縄銃を取って、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンと撃ちました。

ごんは、バタリとた倒れました。

兵十は掛け寄っていきました。うちの中を見ると、土間に栗が固めて置いてあるのが、目につきました。

「おや。」

と、兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。

「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、栗をくれたのは。」

ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、頷きました。

兵十は、火縄銃をバタリと取り落としました。青い煙が、まだつつ口から細く出ていました。

=====


う〜〜む…。思い出したわ…。


なんという悲しい話なんだろう。


ごんとしては、軽い気持ちでイタズラしたのが、兵十のお母さんが最期に食べたがっていたうなぎを奪ってしまったカタチになった。

それを悪く思って、せっせと栗や松たけを置いていたんだけど、そんな事と知らない兵十はごんを撃ってしまった…。


若干17歳でこの童話を書いた新美南吉はやはりタダものではない。

記念館では、南吉の生涯が分かるようになっており、南吉がマジメで頭がよい本好きの少年で、病弱ながらも教師を志ざし、そして苦労しながらも教師となり、充実した教師生活を送っていた事が分かる。

厳しいながらも思いやりのある指導で、生徒からもとても慕われていたようだ。

そんな南吉の生活がわかる、数々の展示物(原稿の草案、生徒への添削指導、生徒とはちきれんばかりの笑顔で歩く南吉の写真など)が飾られていました。


病気のため、わずか29歳という若さでこの世を去った南吉の無念さはいかほどであったであろうか。

死の間際でも、お見舞いのハガキをくれた生徒に返事を書いたり、遺言状として弟を心配する内容があったりと、泣かせる内容でした。


なんかしんみりした気持ちになって通路をいくとお土産コーナーが。




おお、これはリアルな「きつねの手袋」!!コロプラのお土産になってるが、リアルなのはなかなかないだろう。




記念館の外には、ごんぎつねの舞台になったであろう、里山が残されており、そこをグルッと回ってから帰りの自転車に乗りました。


今日もいい日でした。


日記目次前日へ翌日へ

「JRA馬券道場名人への道」はこちら



ランキン |HomePagemail




M単★ランキン@社長&馬券道場名人の日記の更新通知は…
http://www.enpitu.ne.jp/tool/rdf.cgi?id=44060

このURLをお使いのRSSリーダーにご登録下さい。