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2018年09月29日(土) ■
『BED』

『BED』@JR与野本町駅(西口)周辺



『世界ゴールド祭 2018』、二本目の『BED』は、2016年初演以来各地で上演されてきた路上パフォーマンス。孤立高齢者や障害者といった社会から疎外されるコミュニティに向けた活動を行うデービッド・スレイターの作品。

「街なかに突然ベッドが出現したら、ひとはどういう反応をするだろう?」という内容で、チケットや入場料金なしで参加出来る。作品を観にやってきたひとだけではなく、その場に出くわしたひとも観客だ。その情報量にあまり差をつけないようにしたいのだろう、事前アナウンスは必要最小限に留めてある。上演場所は与野本町駅西口付近、開演時間は12時。集合場所の指定もない。そのうえこの日は台風が接近中で、公演の有無は当日11時にwebで発表という。確認してから出発したら間に合わないし、与野本町駅付近にはファミマくらいしかフリーWi-Fi飛ばしてるところがない。携帯不携帯タブレット携帯の身には厳しい環境です(笑)。まあそういうのも面白いか、西口付近といえば遊歩道がある。さい芸に向かう途中、季節の花々を眺め乍ら歩くのが楽しいんだよね。あの辺りだろう。外が無理ならさい芸のどっかだろう。とりあえず行ってみて、ベッドを見つけたら近づこうかな〜くらいのノリで早めに出発。

雨はまだしとしとというところ。さい芸に行きなれてるひとならご存知、VIE DE FRANCEでお昼を食べ乍ら遊歩道を眺める。何もない、誰もいない。うーんこりゃさい芸で上演かな? と思いつつ劇場方面へ歩いていくと、高架下に何やらひとだかり。バン、ベッド、おじいちゃんとおばあちゃん。あっ、これだ。準備中か? 観客らしきひとたちもいたので一緒になって遠巻きに眺める。雨天用に装備したのだろう、パラソル付きのベッドが二台。布団はビニールシートで覆われている。作品の性質上、出来る限り野外、それも街なかで上演したいのだろう。準備は万端だ。天気は悪くなる一方。パラソルだけでは雨を防ぎきれなかったようで、15時の回は設営したテントの下で上演されたそうだ。

開演時間を過ぎた。スタッフがキャスター付のベッドの一台をガラガラと押していく。あっ、ここでやるんじゃないのねとついていく。もう一台のベッドがついてくる様子がない。丁度改札を出たところのバス停付近にベッドが停まる。あっという間にひとだかりが出来ると同時に、電車から降りてきたひと、乗りにきたひとたちが訝しげな顔で通り過ぎる。ベッドを固定したスタッフは無言で場を離れる。……これ、もうはじまってる? 隣のひとに「開演…したんですかね……」と訊かれ「ど、どうなんでしょう」と応える。どうする? としばし戸惑っているところに救世主が現れました。観客のひとり、KUNIOの杉原邦生が「いいんだよね?」「面白いね」といいつつベッドに近づき、演者に話しかけたのです。挨拶からはじめ、自然な声のかけ方。サクラではなくホントに観に来ていたと思われますが、スタンドプレーのいやらしさは全くない。場の空気がほぐれ、ベッドに近寄るひとが増えました。いやー助かった、他の回はどう進行したんでしょうね。

ここにいた演者はゴールドシアターの最年長、�盒鏡供6デ録景垢鯑匹鵑世蝓�挨拶したり、小銭を渡しておにぎりを買ってこさせたり。指名されたおつかいのひとも気が利いていて、駅前で配っていた試飲用のお茶ももらってきてくれました。「いやー、せっかく配ってたから。丁度よかった」。どっと笑いが起こる。場の空気が柔らかくなりました。そのうち移動していく観客がいたのでついていってみる。そういえば開演前に見かけたもうひとつのベッドはどこに行ったのだろう。と思っていると遊歩道の中程にいたいた、田村律子。赤いハンドバッグをとってくれませんか、といわれ渡してあげる。パスポートや写真をとりだしては愛おしそうに見つめたり撫でたり。旅、家族の思い出が微笑みとともに語られる。静かに聴き入る。少しの寂しさとともに柔らかい時間が流れる。

サイゼリヤ付近にもひとだかり。あっ、三台目。渡邉杏奴がベッドの下に潜り込んでいる。しばらくすると出てきて編み物をはじめる。規則正しく動くかぎ針。赤ちゃん用の靴下にも見えるが……声をかけられると布団に潜り込んでしまう。厳しい表情、完全に閉じている。どうしよう? そっとしておいた方がいいのかな。他の場所とは違う緊張感が流れる。傍らには辻邦生の『背教者ユリアヌス』。移動してきた杉原さんが「クリスチャンなんですか?」「何をつくっているんですか?」と間をおき乍ら少しずつ訊ねると、何かを呟きはじめた。とても小さな声、雨音にかき消されて聴きとれない。杉原さんをはじめ皆が彼女の言葉を知りたくて耳を寄せる。だめだ、聴こえない。しかしそれ以降、彼女から外界を拒否する空気が緩んだ、ように感じる。渡邉さんは勿論そういう「役」を演じているのだが。

三台のベッドを巡り乍ら考える。コミュニケーションをとれない状態に陥った人物と対峙したとき、自分はどうしていただろう。それが関係を断ち切れない相手だった場合、どうやってその時間を過ごすか? 高齢者を日々ケアする『よみちにひはくれない』の作者菅原直樹は、その存在を否定しないことだと話していた。見えないものが見えたり、いないひとと話したり。第三者には妄想となる、当事者の世界を肯定すること。それはまさしく演劇なのだと。

時間が経つにつれ、集まったひとびとの間に労わりや慈しみのような感情が生まれてくる様子がみてとれた。頼まれたり指図されずとも、自然と演者に布団をかけてあげたりビニールシートから雨を払ったりするひとが増える。それに伴い観客同士のコミュニケーションも増える。観に来ていたゴールドの役者さんと「雨、次の回はどうなるんでしょうねえ」「外でやるそうですよ、さい芸ではやらないって」なんて素で話す。どこからが演技かの境目はない。今ここにいる皆が演劇を体感している。

�盒兇気鵑里發箸悄L欧辰討い襪茲Δ世�、近寄るとパチリと瞼を開いた。目が合う。こんにちは、あちらから話しかけてくれる。こんにちは。「寒くないですか」と声をかけると「寒い。台風だよ、やんなっちゃうよ」といいつつ楽しそう。観客に開きまくっているので、「役」の人物と話しているのか、�盒兇気麕椰佑範辰靴討い襪里�、判断に迷う。初対面だが、こちらは一方的に�盒兇気鵑離廛蹈侫�ールを知っているのだ。考えてみれば、もう12年もゴールドの公演を観ている。どうしたものかと距離を測っていると、�盒兇気鵑�「この歳になってこんなことさせられるとはね」などといいだす。「いつ迄やれるか……」「もうすぐお迎えだ」。何いってるんですか、そんなことないですよ。そう声をかけるとスタッフがやってきた。終演のようだ、ベッドは運ばれていった。

�盒兇気鵑慮斥佞聾�演についてのことだったのか、自身の人生についてのことだったのか。今でも考えている。

先週上演された『よみちにひはくれない』では、観客は「公演中」のフラッグサインを持ったスタッフに誘導されていた。今作のスタッフは、その気配を極力消そうとしていた。注意して見ると「あ、このひとはそうだな」と思えるひとはいる。トラブルが起きたら即対応出来るような状態で控えつつも、風景にとけこむような存在に徹していた。取材/資料用の映像を撮影するクルーがいたのは少しの安心(保険?)。鑑賞者に立ち入らず、演者と周囲の環境に配慮する。素晴らしい仕事ぶりでした。

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この黒い傘のひと、実は私なのだった……アルクマが写っている(笑)

・パフォーマンスアーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチの悪名高き代表作《リズム0》(1974)│イミシン
「この作品は、自分に好都合な状況下で人は、他人をいとも簡単に傷つけることができることを明らかにし、反撃、防御しない人を非人間的に扱うことが、いかに簡単であるかを示しました。ステージさえ提供されれば、大部分の『正常な』人間は、暴力的になる可能性があるのです」。
スタッフがいたとはいえ、『BED』の演者たちも「観客に何をされるか判らない」環境で一時間を過ごす。恐怖心はあっただろう。ロンドンで上演されたときは警察を呼ばれたり騒ぎになったりしたそうだ。
人間の善性を信じる、信じたい作品でもある

・『背教者ユリアヌス』を見つけた杉原さん、「俺の名前の由来だ(笑)」。辻邦生は9月24日生まれでくにおと名付けられたそうなので、辻氏にあやかってなのか語呂合わせ的な意味でなのかは不明。ちなみに杉原さんの誕生日は9月28日ですって(お祝いで大好きなディズニーランド行ったってツイートしてて微笑ましかった)

・『BED』も『よみちにひはくれない 』も、蜷川さんが観たらさぞ喜んだろうなあ。いや、悔しがるかな。俺もやりたい! って