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2017年01月29日(日) ■
『Pro・cess2017』

さいたまゴールド・シアター『Pro・cess2017』@彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)

昨年のいつごろからだったか、蜷川さんが亡くなったあとだったか、さい芸の大稽古場に「NINAGAWA STUDIO」という名前がついた。主をなくした稽古場で、演出家を失った劇団が公演を打つ。しかし劇団には劇団員と、かつての演出家の指針を知る演出家がいる。

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2006年の夏、発足から3か月で『Pro・cess〜途上〜』という名の小さな公演をもつことになりました。第一部は清水邦夫さんの『明日そこに花を挿そうよ』、第二部はチェーホフの『三人姉妹』第一幕を上演するはずでした。しかし、公演前日の最終リハ―サルで「やめましょう。人に見せる作品になっていない。」と蜷川さんが言って、『三人姉妹』は未完となりました。
あれから10年が過ぎました。『三人姉妹』第一幕からまた始めます。どうぞわたしたちの2017年冬、現在を観てください。
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最初に発表されていた情報では、作=アントン・チェーホフ、演出=井上尊晶、公演名は“2006年・蜷川幸雄が「やめましょう。人に見せる作品になっていない。」と言って未完になった作品を、2017年・すべてのスタッフ・キャストが想いを込めて完成させる、さいたまゴールド・シアター『三人姉妹』”でした。長い(笑)。「完成させる」から「Pro・cess」へ。まだまだ途上だという思い、完成して満足などしないという思いがあるのだろう。当日パンフレットのクレジットは構成=蜷川幸雄、構成・演出=井上尊晶。『三人姉妹』だけでなく、ゴールドシアターが過去上演したさまざまな作品から構成された作品。

ステージに置かれた水槽、その後方に並べられた椅子。どちらも出演者の数よりひとつ多い。聴きなれたリベラの「サンクトゥス」が流れてくる。蜷川さんの舞台でよく観られたオープニング、出演者たちが出てきて整列し、椅子に座る。観客と向き合う静かな時間。やがて彼らは立ち上がり、水槽へと歩み寄る。杖をついているひと、車椅子に乗っているひと。よろめくひとの腕を抱えともに歩くひと。水槽のなかに身を潜ませる、そのポーズがとれない役者のために、水槽にクッションや椅子が仕込んであるものもある。やがて彼らはひとりずつ、語り始める。チェーホフ、シェイクスピア。初めて聴く台詞、憶えのある台詞。生きることに飽いている。死への憧憬。憂鬱に覆われた言葉たちが続く。男たちが、目に見えない棺を運んでいく。寺山修司の詩。棺のなかにいるのは誰か。

坂本龍一の「Parolibre」が流れてくる。あ、これは…と思った瞬間、「世界の果てからおたよりします」の台詞。清水邦夫『血の婚礼』、蟹の女だ。かつて聴いたそれは既に亡くなっていた平井太佳子さんの声で、天上から聴こえてくるものだった。この日この声は、舞台上から、今を生きる役者たちから発せられた。




(1999年『血の婚礼』の当日パンフレット。大きい画面で観たい方はtumblrをご覧ください)

死を語るひとが死者の台詞を生きて語る。尊晶さんが手がけた構成に感銘を受ける。

二場から『三人姉妹』が始まる。四人のオーリガ、マーシャ、イリーナ。三人のヴェルシーニン、ふたりのソリョーヌイとチェブトゥイキン。交互に、あるいは繰り返し、同時に台詞を語る。トゥーゼンバッハ役はネクスト・シアターの白川大。蜷川作品におけるひとつの系譜、�盒桐里籠眦跳鮖覆砲弔蕕覆覬討鯤�えた青年だ。生きること、働くこと。父を亡くした彼らは、迫る影に気付かないふりをして希望を語り、モスクワへの憧れを語る。

さまざまな作品からコラージュされた台詞、プロンプの存在、ひとつの役を複数の役者が同時に演じる等、この集団の必要から生まれた手法も多い。これが例えば山の手事情社の四畳半やク・ナウカの二人一役、マームとジプシーのリフレインのような、ゴールド・シアター独自のメソッドとして観られるようになってきている。劇団の個性であり、強みだ。

観客は数ヶ月毎にその成果しか目にしない。彼らの身体的変化を緩やかに見ることが出来ない。久し振りに見たら杖をついていたり車椅子で移動するようになっていたりする。反面、このまえはあんなに弱っていたのに……と心配になる程だった役者が闊達に動きまわっていたり、格段に声が通るようになっていることもある。悲しみ、驚く。その繰り返し。

ひとつ余った椅子は、水槽は誰のものか。今よろめいたのは演技なのか、言葉に詰まるのは間をとっているのか。そういうことも含めて今後もとことん観ていきたい。肖像画が入っていない額縁、大きな窓と、風に揺れるカーテン。不在のひとを思い、今ここにいるひとに眼差しを贈る。

終盤、「自分の名前を言ってただ立つことが、最も美しく難しい」というような言葉が語られる。確か蜷川さんがオーディション時に言っていたことだ。劇団員がひとりずつまっすぐに前を向き、自身の名前と年齢を名乗り、すっと立つ。最初は重本惠津子、最後は高橋清。年齢が発せられるたび、客席から感嘆の空気が漏れる。それもつかの間、彼らは罵りの言葉を吐き出し始める。「このやろう!」「何やってんだ!」ほどなく気付く、蜷川さんだ。あの誠実な罵声だ。これにはやられた。なんてにくい演出。本番の数日前に決まったそうだ。

想像する。尊晶さんと劇団員が案を出し合う。こんなこと言われたねえ、ああ、こんなふうに怒鳴られた。笑い乍ら、やがて寂しげに。そんな光景。こうして不在の演出家は舞台に現れる。演劇は目に見えるものだけではないのだ。それを教えてくれたのは蜷川さんだったし、蜷川さんの舞台に関わる出演者、スタッフだった。ここからまた始める。ゴールド・シアターの力強い歩みに思わず涙。

カーテンコールはゆっくりだ。全員が袖に入りきらないうちに、また出てくる。ちょっとくすりとする。また観にきます。

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・さいたまゴールド・シアター『Pro・cess2017』|彩の国さいたま芸術劇場

・本編、暗転から最初の照明がつくと、すぐ隣の通路に尊晶さんが座っていた。まったく気配がなかった。上演中、身じろぎもせず舞台を観ていた。終演、暗転。カーテンコールのあかりがつくと、そこにはもういなかった。去る気配もやはりまったくなかった
・そんな尊晶さん、差し入れを沢山渡されていたのに思わずにっこり。着ている服、細身のシルエット、意識的なのか判らないけど蜷川さんに似ている。藤田俊太郎さんが書いてたけど蜷川さんは門下生に服やら本やらバンバンあげちゃうひとだったようで、あの服も蜷川さんのものだったのかもしれないななんて思った

・そうそう、ゴールド・シアター宛と尊晶さん宛に、蜷川実花さんからおいわいのフラワースタンドが届いてました。ピンクとブルー、実花さんらしい色使い

・ところでさい芸、三月いっぱいでビストロやまが移転ですって(泣)ぺぺロネは残るそう。いろいろ考え込んじゃった……あの場所で月間、年間通じてコンスタントに長い公演を打てる企画なり、観客を呼べる作品、出演者、スタッフなり。シェイクスピアシリーズの再開は今年末。うーむ