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2016年06月11日(土)
『コペンハーゲン』

シス・カンパニー『コペンハーゲン』@シアタートラム

『アルカディア』から、シスの公演が数学づいている。数学を通して歴史を見る。今回は史実にも残る、とある一日を追う。その後の歴史に大きく影響した、三人しか知らない、そしてその三人さえ、どう受けとめれば良いのか理解しかねている一日を。マイケル・フレイン作、小田島恒志訳、小川絵梨子演出。

1941年秋、ナチス占領下のデンマーク・コペンハーゲン。ドイツ人物理学者ハイゼンベルグはかつての師、ボーアの家を訪ねる。ボーアはユダヤ系で、今となっては思うままに研究が出来ない。生活も、命すら危ぶまれている。彼の論文を口述筆記する等、研究に深く関わってきた妻マルグレーテとともにひっそりと暮らしている。盗聴や尾行もありうる危険を顧みず、ハイゼンベルグがボーアを訪ねたのは何故なのか。

面白いのは、彼らはその一日を未来から見つめていること。その未来は観客側からすると現代になる。この作品がいつの上演されようと。数十年先だろうと、数百年先だろうと。三人は死後の世界から、この一日を検証しているのだ。核開発が戦争に、いや、その後の人類の歴史に及ぼす影響は? 原子爆弾を先に開発出来たのがドイツだったら? 広島の空の下にいたひとびとは何に巻き込まれたのか? ハイゼンベルグが計算を間違えたのは故意か、恐怖に駆られたためか、ではその恐怖とは?

物理学を通したゴドー待ちのような作品だった。エストラゴンの「どうにもならん」という台詞が思い出される。何度検証しても、数学的には答えは同じ。それでも不確定要素に可能性を託し、三人は諦めない。それがせつない。『アルカディア』でもそうだった、世界は必ず終わる。間違いない。しかしこの世界には、数学で解明出来ない不確定要素がある。それには現時点では、という但し書きがつく。いつの日かその不確定要素に規則性が発見される、つまり数学的に証明される未来がくるかもしれない。その日がくる迄、三人は検証し続ける。命が尽きてなお、検証は続く。未来には絶望しかないが、未来を信じてもいる。

まーそれにしても台詞が難しい、滑舌的にも。演者が相当苦戦してる。段田安則、浅野和之、宮沢りえ…このメンツが! 出演者が三人のみ、その全員が全編通して出ずっぱりなので、一度リズムが崩れると修復が難しい。これだけの役者が揃っていてこれだけ芝居がつんのめるのは初めて観たよ……と、とまる? ってくらいヒヤヒヤした場面も。台詞を血肉化するのは本当に難しいことだなと思う。ストーリー自体は、物理学や量子力学についてさほど理解していなくても大丈夫な流れです。むしろ歴史を知っていた方がよい。専門用語についての補足説明は台詞に含まれている。実際その意味合いはちゃんと伝わる。そしてこれは、役者の力量に依るところが大きい。

小川さんは、演者を交え徹底したテキレジをすることで知られている。テキストの背後に横たわるサブテキストに気付き、物語の歴史的背景を知り、作品への理解を深めることはとてもだいじなことだと思う。しかし今回に関しては、テキストが理解とともに演者の身体をどう通るのか、観客へどう伝わるのか、というところ迄追求してこその芝居づくりではないのかなと感じたのも事実。個人的な感想だが、自分がよくもわるくも小川さんの演出作品を信じきることが出来ないことの原因がわかったような気もした。ときどき物語の解説を読まされているような気持ちになることがあるのだ。

深い感動を覚えた作品でしたが、芝居のコンディションが整うであろう後半に観ればよかったかな……と思ってしまうくらいには発展途上の上演でした。惜しい気もする。が、がんばれ! と思わず手に汗握ってしまわない状態で観たかった……。それにしても段田、浅野両氏は言わずもがなだが、宮沢さんは本当に堂々とした舞台俳優になったなとしみじみ感じ入った。声の強さ、身のこなし、どこから見ても隙がない。

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・「シュレーディンガーの猫」実験を再現したら衝撃の結末が!ショートフィルム「シュレーディンガーの箱」 : カラパイア
対話のなかにシュレディンガーの名前が何度も出てきて、これを思い出したので。「ああ、ねこの……」「あのねこの……」て吹き出しが客席に浮かんでるようにも見えます(笑)私もシュレディンガーつったらねこしか浮かばないよ……