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2010年08月21日(土)
『黙阿彌オペラ』

こまつ座『黙阿彌オペラ』@紀伊國屋サザンシアター

『木の上の軍隊』は延期、『黙阿彌オペラ』再々演に変更、と発表になった直後に井上さんは亡くなり、これが追悼公演になりました。この演目は井上さんご自身の希望だったとのこと。使われることのなかった『木の上の軍隊』ポスターと宣伝写真がロビーに展示されていました。永遠に上演されることはありません。観たかったな。

狂言作者・河竹新七(黙阿弥)が見つめる、幕末から明治への28年。文明開化に乗って欧化へと浮かれる時代を生きた彼の日本人観、芝居への厳しさ、観客への思い。黙阿弥は井上さん本人なのでしょう。軽快な言葉たち。説教するでもなく、ユーモアを交え、しかし根底には怒りの炎があり、ただただ静かに、しかし意志は決して曲げず、ひとや空気に惑わされず。そしてひとにはひたすら優しく。失敗しても、挫折しても、必ず活路はあると示し、死んではいけないと言う。その足許には、思いを遂げられなかった者たちの亡骸が累々と続いている。必死に、懸命に生きていたのに、どうすることも出来ずに死んでしまった者たちだ。

毎度のことだがものすごい台詞量、しかも3時間超の上演。体力を使う。しかし飽きない。物語の力にぐいぐい引き込まれる。とにかく言葉が素晴らしいので、読みものとしての戯曲だけでも伝わるものは多いと思います。新たに言葉を加えて感想を書くのが野暮だと思えてしまうくらい。しかし、舞台と言うものには役者と言う肉体が存在する。役者たちが語るからこその何かがあるのは間違いがない、そうでないと芝居である意味がない。出演者たちは、それに十二分に応えていました。絶妙のキャスティングに思えました。『木の上の軍隊』のために集まったキャストだったと言うのに。

台詞のスピードはかなりあります。テンポよくハイスピード。しかし言葉が流れていかない。聴き流すことはない、いや、出来ない。これは出演者の力も大きい。抑制が利いているが腰の据わった鋼太郎さんが冷静な新七像を演じる。藤原くんがてやんでえな調子で息を吹き込んだ役は五郎蔵。お調子者ではあるが、彼の背景にはさまざまな辛苦がある。不遇に身を置き乍らも懸命に生きる。藤原くん、やはりこのひとはすごいなと思わずにはいられなかった。北村くんも緩急自在の演技を見せてくれました。このひとホント絶妙なとこで力抜くの巧いなー。

内田さんの歌は初めて聴いたけど、あれだけ唄えるひとだったんだ!計り知れないポテンシャルの持ち主だなあと感嘆。熊谷さんはばあさんと娘の二役を力強く演じていました。彼女に代表される市井のひとたちには共感することも多く、だからこそあのラストシーンは胸に迫った。そこを掬いあげる井上さんの目線のことを思った。見ているひとはどこかにいる。誰にも気付かれず死んでいったひと、誰からも忘れられているひとたちが、ほんの一瞬でもそれを信じることが出来たらどんなにいいだろう。それを届けるのが役者の仕事。それを心に持ち帰るのが観客。それが拡がっていけば、どんなにか。

松田さんも、大鷹さんも朴さんも素晴らしかった。登場人物たちが舞台の上で生きている。そして、作品の中で井上さんの言葉も生き続けるのだろう。