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2008年04月25日(金)
『ねずみ男』

青年座『ねずみ男』@本多劇場

パンフレットによると青年座には21歳から84歳迄の座員が在籍しているとのこと。これだけ幅広い年齢層がいると、書く側としては登場人物に制限を設けず書くことが出来る。プロデュース公演ではないので、出演者が既に決まっていることもない。

とはいえ、その制限のなさは、自分の得意技や作風を封じる懸念もある。例えば年齢が近い男優ばかりの劇団の座付作家は、「硬派な男芝居が得意」と言った「得意技」や「作風」だ。その枠が取っ払われることは、新しい可能性を見出す筈だが、逆に言えば“手癖”では書けなくもなる。

『ねずみ男』は、幅広い座員を擁する青年座と言う劇団に書き下ろす、と言う明確な狙いのもと、劇作家の色はどうしようもなく舞台上に溢れていた。赤堀雅秋はプロフェッショナルな劇作家だ。以下ネタバレあります、未見の方はご注意を。

一昨年青年座に書き下ろした『蛇』同様、家族の物語。しかし今回は妻が不在だ。スーパーで万引きをして店員に捕まり、警察に突き出されることなく家に帰された夜、住宅の屋上から飛び降りた。夫・稔はその妻を捕まえた店員を3年間つけまわし、妻の命日の前日に誘拐して自宅の部屋に監禁している。誘拐を実行したのは稔に好意を持つ近所の男・片岡。妻の命日の8月10日はとても蒸し暑く、店員を縛ったガムテープは汗でとれてしまう。しかし店員は逃げる気配がない。稔は、妻が飛び降りた21:22に店員を殺して自分も死のうと思っている。

家を出て行った娘が身重になって帰ってくる。荷物を運び出すためだ。稔が営む自転車店で働く石井は、折り合いが悪くなっている父娘の仲をとりなそうとし、同時に店員を助けようとし、稔を止めようとする。家にはボケかかっている稔の父がいる。稔は時々夢とも現実ともつかない、妻との最後の1日の光景を何度も目にする。

いつもの通り9割以上会話で進む。しかし自分の劇団に書き下ろす時とは違い、共通言語を極力なくそうとしている。はっきり言葉にしている。「とっても恥ずかしいことを言ってもいいですか」、とちゃんと登場人物に喋らせる。登場人物は自覚しているのだ。この言葉を臆面もなく平気で口に出せるひとは厚顔無恥なのだと。しかし言わずにはいられないのだと。そこ迄追い詰められている。「生きろ、生きろ、生きろ」と言いたかったのに言えなかったのだと。THE SHAMPOO HATではその気配をさせつつも(羞恥心が強過ぎるあまり口に出せないままの人物が多い)行動は突然のことが多く、それがカタルシスをも感じさせるものなので、この辺りは意識的に書いたのだと思う。親切でもある。

妻と店員の名前は同じ「キョウコ」だと終盤に判る。ふたりは「お友達」だ。店員は妻が万引きをしたから捕まえた訳ではなかった。「このままどこかに消えてしまいそうだったから」心配になった、そしてそこに自分を見たような気持ちになって手を伸ばしたのだ。店員のキョウコは生きて家を出る。稔は生きる道を選ぶ。

鼻っ柱の強い娘が、両親の交換日記を茶化し乍ら読み上げる。「今日のお昼は何がいいですか」「ナポリタン」「長崎屋で梅にんにくを買ってきてください」「トイレで煙草を吸わないでください」…ふたりがけんかをした時に、チラシの裏を利用して書いていた伝言メモだ。強気で、「こんなことで動揺しないから」と言っていた娘が泣き出す。家に帰ってきた時は母親のことを「松田京子さん」と呼んでいた娘が「お母さん」と口に出す。

どんなことがあっても赤堀雅秋はこちらに手を伸ばす。「とっても恥ずかしいことを言ってもいいですか」、“こちら”とは“希望”のことだ。

今自分が持つ身体=年齢、外見を活かした出演者皆が素晴らしかったです。長い脚を小さく小さく折り曲げて体操座りをする山本さんの姿はしばらく忘れられそうにない。稔の父親が言ったとおり「忘れることは人間の特権」なのだろうけど。

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■それにしても
2作連続で(『東京』は改訂再演なので)妻が不在の話なんだよね…やっぱりいろいろ考えてしまいますよ……それを簡単に反映とは言い難いが

■そんで
またプリンが出て来ました(笑)