前潟都窪の日記

2005年03月28日(月) 秦   河 勝 連載40

河勝としては19歳の厩戸皇子が皇位につくためには、崇峻天皇にもう2〜
3年在位していて貰わなければ困るのである。そのためには、強い武力を持った東漢直駒であれば、馬子に命じられた暗殺団が襲撃しても防戦し、天皇を守ることができるであろうという思いと場合によっては天皇を奉じて豪族を糾合し、馬子を征伐できるチャンスが生まれるかもしれないという思惑もあった。

秦河勝の脳裏には天皇家と姻戚関係をもちたがっていた父国勝の遺志が稲妻のように駆けめぐった。今天皇を奉じて蘇我一族に立ち向かったらどれだけの豪族がついてくるだろうかとも考えてみた。現在の兵力、経済力を比較したとき秦氏と蘇我氏とどちらが優位だろうか、経済力では秦氏が絶対的に優位だが兵力では蘇我氏に劣るかもしれない。さればこそ、軍政官の地位を苦労して手にいれ諸豪族に多少睨みが効くようになったのだが、諸豪族は秦氏の実力をどこまで評価しているのであろうか。そこが問題だが、諸豪族を糾合できればあるいは蘇我氏を征伐できるかもしれない。もし蘇我一族を征伐できたら、その時には彼が尊敬してやまない厩戸皇子を皇太子に擁立して、崇峻天皇の次の天皇に推挙するのである。厩戸皇子が即位すれば自分の立場は現在の蘇我馬子のように朝廷のあらゆる実権を掌握できるかもしれない。ここは慎重に冷静に対応しなければならないと心に言い聞かせるのであった。
「私の命令はなんでも素直に聞くだろうか」
「それは忠義一途の者ですから、お上の命令ならなんなりと仰せつけ下さい」と河勝は答えたが、天皇はもしかすると駒に命じて蘇我馬子の謀殺を企んでいるのではないだろうか、そうであれば蘇我一族を征伐するきっかけが出来ると心臓の動悸が高まるの禁じえなかった。
「あの時の先鋒隊か、雨のように飛んでくる矢をものともせずに、血路を開いた働きは見事であった。そのものを配置してくれ」と崇峻天皇は言われた。
 河勝は伝令を飛ばして東漢直駒の手のものを配置した。
 秦河勝と天皇のやりとりを聞いていた妃の大伴嬪小手子は、蘇我の馬子大臣に訴えて、天皇を懲らしめて貰うには絶好の機会だと単純に考えた。小手子は早速馬子の許へ使いを遣わした。


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