前潟都窪の日記

2005年03月25日(金) 秦   河 勝 連載37

「これは縁起がよい。白膠木は勝軍木ともいい、霊木じゃ」
「おお、それは縁起がよい」と周囲の者も喜んだ。
「司馬達等を呼んでくだされ」
「はい。御前に」
「仏師は参戦しておらぬか。四天王の像を彫ってもらいたいのだが」
「生憎、仏師は参戦しておりませんが、それがしにも仏像作りの心得はあります。やってみましょう」司馬達等が言った。
「非常の時だから、簡単なものでよい。形が出来ただけでよい」

 厩戸皇子は、出来あがった四天王の像を束髪の上に乗せ誓いを立てて言われた。
「この戦は仏法を護るための戦です。持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王よ、我が軍を守り勝利を与え賜え。もし自分を敵に勝たせて下さったら、必ず護世四天王のため寺塔を建てましょう」
 このとき秦河勝も皇子と一緒に願をかけたが、憑依現象は起きなかった。厩戸皇子の超能力の方が秦河勝のそれを凌駕していたものであろう。

「諸天王・大神王たちが我を助け守って勝たせて下さったら、諸天王と大神王のために、寺塔を建てて三宝を広めましょう」と蘇我馬子大臣も誓いをたてて言った。
誓いを立て終わって、士気の高揚した馬子軍は、武備を整えなおして進撃を開始した。

跡見首赤寿が狙いをつけて物部守屋に矢を射かけると見事命中した。榎の木股から落ちてきた物部守屋の首を秦河勝が打ち落とした。これによって物部軍は自然に崩れて兵士は四散した。この戦で物部氏は没落し渋川の邸宅、難波の管理事務所や、支配していた田荘は全て没収された。物部氏が滅亡してはじめて蘇我氏および崇仏派は自由に活動することが出来るようになったのである。

 仏教の興隆を志す馬子は、飛鳥の真神原に本格的な寺の建設を始めた。法興寺(飛鳥寺)である。これより後、飛鳥時代の仏教の中心的存在となる寺である。


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