| 2005年03月22日(火) |
秦 河 勝 連載35 |
穴穂部間人皇后はこうして用明帝の喪も明けないうちに義理の子つまり用明帝と蘇我稲目の娘石寸名との間に生まれた多目皇子の妃として嫁がされ佐富女王を生むことになるのである。 詔勅は秦河勝を使いとして佐伯連丹経手・土師連磐村・的臣真噛等の氏族に届けられた。彼らは炊屋姫の詔勅を奉じて両皇子を攻め殺してしまったのである。
馬子に先手をとられ、肝心の穴穂部皇子を失ってしまった物部守屋は孤立 してしまった。これに対し馬子は、物部守屋を攻めるのは今がチャンスと秦河勝を使って、朝敵穴穂部皇子に加勢した物部守屋一族を討伐しようとの檄をとばした。檄に応じて、泊瀬部皇子をはじめとして敏達天皇の子の竹田の皇子等が参戦した。
秦河勝は馬子の檄文を携えて飛鳥へ赴き厩戸皇子と出会ったときのことが忘れられない。 「物部守屋討伐の檄を預かって参じました」と河勝が言った。 「このたびの戦の大義名分は何か」と厩戸皇子は質問したが、14才とは思えない風格があり、威容辺りを圧する荘厳さを備えていた。 「伯母上にあたられる炊屋姫が出された、穴穂部皇子を討伐せよとの詔勅でございます」 「穴穂部皇子は征伐されたではないか」 「御意。しかしながら朝敵に加担した大連物部守屋が討伐されておりませぬ」 「皇位継承の争いが原因か」 「御意。もう一つ崇仏か排仏かの争いに決着をつける意味もあります」 「大連物部守屋は排仏を唱えているのであったな」 「御意。仏法の教えを広めるためにも大連物部守屋は討伐せねばなりませぬ」 「おことは崇仏か排仏か」 「内国神も認めた上での崇仏の立場でございます」 「仏像を拝観したことがあるか」 「ございます」 「それは何時のことか」 「子供の頃と、つい最近のことですが蘇我大臣の向原のお屋敷で二度程拝観 したことがございます」 「それでは仏の教えの神髄は何か」 「恥ずかしながら判りません」 「一つだけ教えよう。捨命と捨身とは皆是死也」と厩戸皇子が言ったとき、河勝には言葉の真意は分からなかったが、厩戸皇子の姿が神々しくみえ思わず手を合わせた。この時河勝に憑依現象が起こった。手足が震え顔がこわばると、耳の奥で声が聞こえた。それは遠い昔、大原の桜の木の下で聞いた先祖霊の言葉と同じ声音であった。 「汝の臣従すべき皇子が今姿を現された」と
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