| 2005年03月07日(月) |
秦 河 勝 連載20 |
蘇我稲目は天皇のこの言葉を聞くと跪いて仏像と教典を恭しく拝受し、お礼をいった。 「必ず仏法がこの国に根づくと信じていますが、それまでは私がお預かりしお守り致しましょう」 贈られた仏像は、悉達太子の半跏思惟像であった。蘇我稲目は取り敢えず豊浦にある小墾田の家を清めてその仏像を安置したが、やがて向原の家を寺としてこれを祭った。ここに於いて日本における最初の仏教帰依者が誕生したのである。
彼が仏像礼拝を始めてから一年程経った頃、疫病が流行して多数の死者が出た。崇仏派攻撃の口実を捜していた物部尾輿と中臣鎌子はこれにとびついた。 疫病流行の原因は、蘇我稲目が他国神である仏像を祭ったからだというのである。これに対して蘇我稲目は、疫病流行の原因は他国神拒否による無礼な措置が仏の祟りとして現れたのだと主張した。疫病がはやったり、飢饉がおきたりするとその度に原因をめぐって崇仏派と排仏派が論争を繰り返した。
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