国税局の取り調べ室は四畳程の広さで机が向きあって置かれている。相対して座った担当官は藤村と名乗って今回の事件では勇の取り調べ担当になったと自己紹介をしてから取り調べが始まった。次々と外注工事代の計算書や領収書、振込依頼書の綴りの中から付箋を付けた箇所を開いては突きつけてくる。
「この佐藤、谷山、中山という署名のある領収書の印影とあんたの机の引出しに入れてあった判子の印影が一致するのはどういうことかね」 「ですから、何回も言うように、溶接免許の更新手続きのために預かった判子を返し忘れていたんですよ」 「それでは説明にならないだろう。佐藤、谷山、中山をここへ連れてくることができるかね」 「できますよ」 「佐藤、谷山、中山の所へは裏付けをとりに行かせているから後でわかるだろう。泣き面かくなよ」 「確かめて貰ったほうがこちらも嫌疑が晴れて助かりますよ」 「それでは、この振込依頼書の宛て先に書かれている丸山太一という人に会ったことがありますか。」 「会ったことはありません」 「そうだろう。架空の人間だから会える筈がないよね。この丸山太一の住所の番地には公衆便所が建っているんだ。証拠はあがっているんだ。そろそろ架空取引だったことを認めたらどうだ」
「私は経理マンだから、現場の担当が検印をして請求書を廻してくれぽ金を払い工事番号毎に収支の計算はしているのだから、当然原価性があるかどうかのチェックをしているわけだし、実行予算との対比もしているんだから、架空の工事代が発生する余地はありませんよ。振込先の住所が実在しないといわれるけれども、この業界には事情があって住所を知られたくない人だって働いていますよ。そうゆう人達でなければこん汚くてきつい仕事をする人なんかいませんよ。日本経済の発展はそういう社会の底辺に蠢いている人達が支えているということを認識して欲しいもんですな」
勇は提示された丸山太一宛の振込依頼書をみて、よく調べているなと思いなら知らぬ存ぜぬで通すしかないと腹を決めて、苦しい答弁を繰り返していた。身にやましいところは一つもないので最後には真実を話すしかないのではないかと自問してみる。どの段階でどの程度かが難しい。頑強に否認を続けていても最後には認めざるを得なくなるのではないか。ロッキード事件、リクルート事件のことが思いだされる。最初は頑強に否認していた人達も最後には認めざるをえなくなっていくのがこの種の事件の今までの経緯である。どうせそうなら早い時期に事実は事実として認めたほうが今後の展開を考えた場合得策ではないかという思いがちらつく。新聞に派手に報道されては恥晒しになるし、営業活動上致命的なダメージをうけるであろう。会社を潰してしまっては元も子も無くなってしまうのではないか。囲碁の攻め合いの場面が髣髴と脳裏をよぎる。多少の尻尾は切り捨てても、本体が生き残るほうが勝負の上では勝ちに繋がるケースが多い。
ドアーがノックされて今日始めて見る捜査官が部屋へ入ってきて、向かい側に座っている藤村になにか耳打ちしている。 「都窪さん、社長が白状して架空外注費があることを認めたよ。あんたもよく頑張ったね。会社にもいろいろ事情があってやったことだろうし、社長の指示でやったことだからあなたの責任ではないよ。早く認めて楽になったら」と藤村は勝ち誇ったように優しい声色で言った。
外界との連絡を絶たれ情報が入ってこないと頭が錯乱する。今の藤村の言葉は罠なのではないか。勇を落とすためのテクニックとしてわざと伝令を寄越させてもっともらしさを装っているのではなかろうか。勇の悩みは続く。 「本当ですか。それで社長はなんと言っているんですか」 「工事会社では仕事を取るために発注先の担当者にいろいろ経費がかかるので、架空の外注工事代を計上してこれを裏金として営業費に使ったことはあると言っっている。詳しいことは経理担当のあなたに聞いてくれと言うことだ」 「社長と話をさせて下さい」 「まだ取り調べ中だからそれはできない。社長がそう言っているのだからあなたは真実さえ話せぱいいんだよ。それに社長は裏金を蓄えていた偽名の通帳と判子を全て貸し金庫から出してきて提出したよ」 勇は捜査官が言っているのは本当だろうかと一応疑ってはみるものの、事態がそこまですすんでいるのであれば、これ以上頑張ってみても意味がないのではないかと思ったりする。疑わしきは罰せずという鉄則がある。挙証責任は捜査側にあるのだから、自白調書がそのまま証拠に採用されることはないであろうが、事実を曲げて供述すると後でのっぴきならぬことになるのは目に見えている。
余計なことは言わないで事実だけを認める作戦でいくしかないと心を決めた。一生に一度か二度の重大な決断の時であった。命令を受けてやったことなので、首謀者ではないし、ましてや共犯でもない。例え兄弟であったとしても最後のところでは骨肉相争うことになるのが、人問の悲しい性ではないのか。源頼朝と義経、足利尊氏と直義、歴史にはいくらでも例がある。少なくとも自分の身だけは護り、人を誹らず、貶めずの方針で行くしかないと覚悟した。
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