前潟都窪の日記

2004年12月27日(月) 父の死��

 ▼父の死
「お父さん、ダナエはとても素晴らしかったわよ」
「ダナエてなんだい」
「ほら、今国立博物館で展示されているレンブラントの傑作よ。お父さんは世間の情勢にうといのね」小学校5年になる娘の由紀がいっぱしの世間通のようなませた口をきく。
「ああ、あれなら知っているよ。エルミタージュ美術館から持ってきた特別展示だろう。スキタイの金属美術品も一緒に展示されている筈だね」
「そうよ。お父さんも見に行ってらっしゃいよ」

 勇も10年前までは、油絵に凝っていた。イーゼルを肩に担いで日曜、祭日ごとに戸外へ画材を求めて写生に出歩いたものである。それがいつしか、勤めの方が忙しくなり、責任のある地位につくのに比例するかのように、次第に油絵から遠ざかってしまっていた。
 絵を描かなくなると展覧会や画廊廻りとも知らず知らず疎遠になって、今では「ダナエ」といきなり言われても、それが何のことであるか直ぐには分からない程、絵心を忘れた生活に慣れてしまっている。娘の佳代に、お父さんは世間の情勢に疎いのねと言われて、大切なことを忘れていたのではないかと痛いところを突かれた思いである。

 思い立ったが吉日で、翌日、日曜日だったのを幸い、久し振りにゆったり
した気分で、上野の森を通って「ダナエ」を鑑賞に行った。

 レンブラントの作品は過去に何回か観たことがあるが、「ダナエ」を観るのは初めてである。巨匠の最高傑作と言われる作品を前にして魂を洗われた気持ちで、暫し恍惚としていた。作品の前から離れ難い思いで、ふと周囲を見回すと、初老の紳士と学生らしい若い男が、いかにも楽しげに「ダナエ」の前で、ひそひそ語り合っているのが目に入った。東京に遊学している大学生の息子を東北の田舎から父親が訪ねてきて、東京見物の傍ら、「ダナエ」を鑑賞にきたものらしい。父子の間に漂うほのぼのとした情感溢れるやりとりを見ているうちに、勇はふと20年程前に、自分と父との間にも、京都は岡崎の市立美術館であのような光景と会話を持ったことがあるのを思い出した。

 京都の大学へ遊学していた頃、ルーブル美術館の泰西名画が、岡崎公園内の美術館で展示された。岡山で小さな事業を営んでいた父がこれを機会に上洛してきて、勇とともに泰西名画を鑑賞し、とりとめのない会話を交わしたのである。それは父にとって忙中に閑を見いだした楽しい息子との語らいの一時だったに違いない。その父はそれから半年ほど後に、突然畳表を扱う事業を止めて大阪のある薬品製造会社に就職した。40歳半ばでの転職であったから、相当の覚悟と苦労があったであろう。

 もともと、戦前、朝鮮で分析技師として大手の鉱山会社に勤務し、応召、兵役、復員と当時の男が辿ったコースを歩んだ父は復員後、元の会社を辞めて慣れない、畳表や藺草製品を扱う地場の商売に手を出していたのである。山気のあった父が一山あてようとの密かに期する気持ちがあったのであろうか。育ち盛りの4人の子供を抱え、経済的に恵まれない生活を余儀なくされていた。当時は父の不遇の時代であった。そんな父を見かねて、昔の技術者としての腕を評価し、迎えてくれる人があったのである。

 岡山に母と祖母とまだ高校生と中学生,小学生の3人の妹を残しての単身赴任であった。そしてはや20年の歳月が過ぎ、勇をはじめ三人の妹達もそれぞれに世帯を持ってしまったが、今もなお父は老いた身に鞭打って、大阪の薬品会社の工場長として独り勤務しているのである。


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