工員社宅での生活は僅か一年足らずの短い期間ではあったが、感受性の強い時期の八才の子供にはどうしても忘れることの出来ない心象風景として残っている、何枚かの絵画のような場面がある。五十年近い時の流れにつれて、過半の出来事が風化してしまった中で、今でも脳裏に焼き付いて残っている絵画のような場面は、当時、勇に鮮烈な印象を与えた出来事であり、体験であったのであろう。その絵を何枚か再現してみることにしよう。
その一は、冬の寒い日に両手にあかぎれをつくった15、6才の少女が井戸から水を汲み上げて、洗い桶に入った米とこうりゃんの混ぜ物をせっせと研いでいる共同炊事場の風景である。周囲で洗い物をしている主婦達のつかっている桶からは、湯気がたちのぼっており、凍てつく水を使っている少女とは対照的である。この少女は大工の中田さんが居候をしていた親方の家で賄い方をしていた身寄りのない娘である。
その二は、昨日までスカートをはき、長い髪で三組みを編んでいた向かいの家の田代さんのお姉さんが、髪を切って丸坊主になり、男物の上下の国民服を着用して、玄関から出てきた男装の正面図である。美人で評判の高かった適齢期の田代嬢が、「ロ助」の目を誤魔化すために、男装しなければ、闇市へ買い出しにも出掛けられない敗戦国の外地居留民に対する治安状態を思い出させる絵である。
その三は、赤い地に星と鎌と槌の模様の描かれた小旗を手にして、口にはちょび髭を蓄え、黒色のネール帽をかぶり、金 日成とスターリンの政治を讃え、共産主義の栄光をぶちあげながら歩き廻っている中年男の姿である。この男は、俗にいう政治ごろのような男で、戦時中は軍部に取り入って美味い汁を吸っていたが、敗戦で鎮南浦がソ連軍の占領下に置かれることを知ると、ただちに宗旨がえをして俄か共産主義者になって、日本人社会からは顰蹙を買いながらも、朝鮮人やソ連軍の指導者に取り入って羽振りを効かせていた。「ロ助」と揉め事が出来るとこの男の出番がくるといった仕事をして世渡りをしていた。何時の世の中にもこうした寄生虫のような手合いはいるものだが、この男の節操のなさには、子供心にも憤りを感じ、忘れ得ぬ一枚の心象風景として残った絵であろう。
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