前潟都窪の日記

2004年11月08日(月) 敗戦��

 工員社宅には、二世帯ずつが同居していたが、気のあう組み合わせというものはあるもので、勇の家へは島根県出身の大工さんで中田さんという小父さんが、遊びにきては「出雲神楽」の話をしてくださった。中田さんは出稼ぎで朝鮮へきているうちに戦争が激しくなり、内地へ帰れなくなったというめぐりあわせを持っていた。中田さんの小父さんは家族を島根県浜田市においてきており、親方の所へ居候していたから、子供達を相手に神楽の話を聞かせるのは、楽しみの一つであったのかもしれない。

「やわたのおろち」とか、「すさのおの命」とか神話の登場人物や動物の物語を実にいきいきと楽しそうに語ってくれるのであった。長い煙管に刻みの煙草を詰めて美味しそうに煙をくゆらせながら、立て膝をして話していた姿には一種独特の風情があった。中田さんの口癖は内地へ帰って、もし普請でもするときには、一番に知らせて欲しい、自分が駆けつけて精魂込めた建物を作ってあげるというものであった。

 工員社宅での毎日の話題は、何時内地へ引き揚げられるかということであった。皆がそのことだけに、希望をつないで生活しているので、色々なでまや憶測が乱れ飛んだ。そんな中で、何処の家庭でもきっといつかは内地へ帰れると信じていたので、それぞれにその日に備えて、引き揚げ準備に余念がなかった。干飯をつくったり、煎り米や煎り豆を用意していた。勇の家では母が、浴衣を縫い合わせて小さな蚊帳を作った。これは傑作であった。引き揚げが決まるまでは家の中で蚊の襲撃から我々を守ってくれたし、引き揚げの道中では或る時は蚊帳になり、或る時は敷き布団や掛け布団になったし、風呂敷包みの替わりになったこともある。


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