前潟都窪の日記

2004年11月05日(金) 敗戦��

 ▼敗戦
 昭和20年8月15日は、暑い日であった。学校は夏休みで原っぱで遊んでいたと思うがその日は午後から天皇陛下の玉音がラジオで放送されるというので、大人達は落ち着かない様子であった。終戦を予測していた人は多かったであろうが、本土決戦が叫ばれ、一億玉砕が真剣に論議されていた時代であるから、その予測を公けに口にすることは出来なかった。言いたい放題が許される今の時代からみれば言論統制下の暗い時代であった。

 予定の時間にラジオの前に集まり、重大ニュースを聞いた。電波の状態が悪くて、玉音放送はその内容をよく聞きとることが出来なかったが、戦争が終わったことだけは理解できた。

 終戦のお陰で疎開せずに済んだけれども、家財一切と過半の衣類は、疎開地から戻らずじまいになり、このあとに待っていた竹の子生活に甚大な影響を与えることになった。食料品と物々交換するための材料がリュックサックと手荷物に残されていた僅かな衣類しかなかったからである。

 満州の新京から神田さん一家が敗戦国の国民として、現地人から迫害されるのを免れるため逃げて来て、我が家に住みついたのも終戦直後のこの時期であった。この時、新京から疎開してきた多数の人々は、家族単位で日本鉱業の社宅へ割当てられて一つ屋根の下で二世帯の共同生活をよぎなくされたのである。


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