前潟都窪の日記

2004年11月02日(火) 父の出征��

 ところで父に招集令状がくるまで、勇の家では家族は畳の間に所謂「川の字」に布団を敷いて三人の子供達が真ん中に寝て、その端両側に両親が寝ることが習わしになっていた。父に赤紙が来て明日いよいよ出征するという日の夜、父が明日から居なくなるという思いがそうさせたのか、いつになく夜中に目が覚めて寝られなくなってしまった。見るともなく横の布団を見ると寝ている筈の両親がいないのに気がついた。どうしたのだろうと考えたとき松田君から聞いた言葉を思いだしていた。

 まさかと思いながら好奇心も手伝って物音をたてないように、廊下へ出てみると廊下を隔てた応接間の入口から明かりが微かに洩れていた。或いはと訝りながら忍び足でちかずき戸の隙間から覗いてみると、戦時防光を施した薄暗い電灯の下で睦みあっている両親がちらりと見えたので、慌てて寝所に戻り布団に潜りこんで、やはり自分の両親も松田君の両親と同じであったかという失望の気持ちと、戦争へ行くんだからお別れにシビをするのは許されていいんだと自分を納得させようとする複雑な気持ちに苛まれながら寝たふりを装っていた。

 翌日、学校へ行くと青野先生が「都窪 勇くんのお父様も昨日皇国の軍人として出征されました」と級友に紹介されたので、勇は誇らしい気持ちと、父母の絡み合いを見てしまった失望の気持ちがないまぜになった複雑な心境であった。

 出征した父が平壌の連隊にいるとき、一度だけ母と面会に行ったことがある。牡丹台といわれる名所で軍服姿の父が、出征したときよりも幾分肥って元気そうに、母親心尽しの弁当を食べてから動物園ヘ行って子供達を楽しませて下さったと思う。この時の面会が朝鮮では最後となり、間もなく父は神奈川県の葉山通信学校へ赴任した。


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