▼父の出征 勇の父の所へも招集令状がきて、鎮南浦駅へ生まれたばかりの下の妹京子を母が背負い、勇と上の妹幸子の手を引いて見送りに行った。昭和19年の初秋のことであるが、この頃になると日本の敗色が濃くなりかけていたせいか、一頃のように賑やかな見送りではなく、家族が密かに父や兄を見送るという風景に変わってきていた。父の出征も家族だけに見送られる質素なものであった。一年前に中学5年の関村さんのお兄ちゃんが学徒動員で出征したときの華やかさとは比べようもない寂しさであった。
関根さんのお兄ちゃんの時は、隣組で催した送別会での出征兵士を送る歌声が夜遅くまで聞こえていたし、出征の日には、大勢の人が日の丸の旗を手に手に持って駅頭まで見送ったものである。この光景を就学前に見ていた勇は、大勢の人々に激励されて出征するお兄ちゃんが偉い人、勇ましい人に思え出征兵士に対して憧れの気持ちを抱いていたといえる。
関根さんのお兄ちゃんの時の出征式の賑やかさに比べ、隣組の送別会もなく、大勢の人々の駅頭までの見送りもなく旅立った父の出征は子供心にも、もの悲しいものであった。僅か1年足らずの時の経過が戦局を悪化させていたのである。
駅まで送ると人目につくというので駅の手前で別れ、勇達母子は鎮南浦駅から最初の踏切の所で待機していた。やがて列車が目の前を通り、父が軍服に身を固めて、列車のデッキから手を振っていた。勇達も手にした日の丸の旗を必死に振ったのである。このように隠れるようにして出征兵士を送らないと、敵のスパイに兵力を知られてしまうというのが、見送りを質素にする理由であった。
  
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