前潟都窪の日記

2004年10月26日(火) 日の出小学校��

 ▼日の出小学校
 勇が日の出小学校へ入学したのは、昭和19年の四月であった。日の出社宅に日の出小学校、何故か「日の出」と両者同じ名前である。日の出る勢いという意味で名付けられた軍国主義はなやかなりし時代の精神を表すネーミングであろうか。

 昭和19年という年は勇の入学した四月までにだけでも、欧州では一月にアメリカ陸軍のアイゼンハワー将軍が連合軍の北フランス上陸作戦の最高司令官に任命されロンドンに着任したし、ソ連軍がドイツ軍に二年間以上も包囲されていたレニングラードを解放した。太平洋やアジアでは二月にアメリカ軍がマーシャル群島のクワジャリン・ルオット島を攻撃して日本守備隊を全滅させていたし、三月には日本軍がやがて失敗に終わるインパール作戦を補給路を無視して決行する暴挙にでていた。また日本国内では本土決戦に備えて「非常事態措置要綱」に基づく享楽追放が行われ、三月に高級料理店、待合、喫茶店、劇場等が閉鎖された。このように戦況は日本、ドイツ、イタリアの同盟三国共に連合軍から劣勢に追い込まれ破滅への道を突き進んでいる年であった。

 小学校の入学式に付き添って行った母親の話によると、新入生一人一人が名前を呼ばれても返事が出来なかったり、声が小さくて聞き取れない子が多い中で勇だけはびっくりするほど大きな声で返事をしたということである。山手社宅から学校までは子供の足で四十〜五十分もかかる遠い所にあった。赤土饅頭を重ねて造った朝鮮人の住宅群を下方に見ながら、赤土で泥濘やすい田舎の山道を隊列を組んで通学した。土饅頭でできた家は薄暗く、いかにも不健康で非衛生的に見えた。


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加