| 2004年09月04日(土) |
【アパルトヘイトを廃止し逆差別の始まった国・・南アフリカ� � |
南アフリカの旅 ヨハネスブルグ、プレトリア、レセディ文化村、ヴイクトリアフォール、チョベ国立公園、ケープタウン 2001年12月8日〜12月15日
年の暮れに香港経由でヨハネスブルグ空港に到着した。このあたりの標高は千四百m程あるらしく、30度Cを越える温度で暑いことは暑いのであるが空気が乾燥していて体感温度はそれほど高く感じない。
最初バスでプレトリアへ向かった。ここは行政府のある首都で標高1370mの盆地である。ヨハネスブルグの北方60kmに位置し計画的に作られた街は碁盤の目のように整然と区画され美しい町並みが続いている。一人当たりの公園の面積はアフリカ一を誇り、折りから咲き残ったジャカランタの花もちらほらと紫色の装いで街並に風情を添えている。プレトリアは別名「 ジ ャカランタシティー」と呼ばれジャカランタ の並木道がいたるところにみられる。因みに南アフリカは三権を司る機関が三つの首都に分散されている珍しい国である。立法府はケープタウン市にあり司法府はブロムフォント市にある。この国の建国に伴う複雑な事情のあることが窺える。
開拓者記念館 を最初に訪問した。プレトリアの郊外の丘の上に建つ高さ41mの立方体の建物は、19世紀の中頃に南のケープタウン方面から大移動してきたボーア人(オランダ系の白人で農民という意味)開拓者の歴史と偉業を讃えるため、グレートトレック(大移動)百周年を記念して1937年から12年かけて建てられたボーア人の聖域である。
ボーア人は現在では白人間の混血が進んでアフリカーナと呼称されている彼らは何れもヨーロッパを本貫の地とする人々であるが、アフリカーナというオランダ語を母体とする言語を使用している。
開拓者記念館の入り口には幌馬車が 一台置いてあり、建物を取り巻く外壁には幌馬車が彫刻されている。この幌馬車は荷物を運搬することの他に別の大きな機能を担っていた。移動中に襲撃してくる土着人と戦う時に並べて弓矢からの防護壁として使用されたのである。従って幌は布製ではなくて鉄板で作られている。
記念館の中には開拓時代のボーア人の生活の様子や移動中に現地人から襲われて防戦する様子等が絵画として年代順に展示されていてズール族との戦闘場面等はリアルでなかなかの迫力である。当時の生活用具等も展示されていて興味が尽きない。
次に金貨で有名なポール・クルーガーの居宅跡 を見学した。トランスバール共和国の第三代大統領で最後の大統領であった彼の居宅は意外に質素で慎ましやかなものであった。
門前に横たわる二頭のライオン像 は彼の象徴だということだが印象に残る像であった。
ヨハネスブルグではチャーチスケア地区を徐行して中心街の佇まいを巡回 しながら観察した。ユニオンビルをカメラに収める時だけ下車して後は通り抜け、中心街の観光を終えた。この間バスから降りることを許されなかったこれは最近ヨハネスブルグ中心街の治安が悪化しているため観光客が歩いていると必ず襲撃されるからだという。世界に悪名高かったアパルトヘイト政策が廃止され、黒人政権になってからとみにヨハネスブルグの治安が悪化したのである。僻地や田舎に住んでいた黒人達が今まで立ち入ることを禁止されていた憧れの都市の中心部へいけば成功のチャンスがあるだろうと考えどっと流入したせいらしい。ところが現実は厳しく、新政権のもとでの経済政策は行き詰まりで失業率は高まる一方なので失業者が生活に困窮してひったくり等の犯罪行為に及ぶせいである。
失業率はどれぐらいかとの質問にガイドは人口調査自体正確な数字のない 国だからまだ失業率の正確な統計はとられていないとの回答であったが、50%を上回っているのではないかと言っていた。黄色人種に属する台湾人のガイド嬢は「現在南アフリカでは黒人によって白色人種や黄色人種に対する逆差別が行われている」と嘆いていた。彼女の挙げた一例は銀行からの借入金に対する利率にもみられるという。即ち中国人に対する利率23%、白人に対して15%、黒人に対して2%であり、銀行に対して不公平ではないかと抗議すると「有色人種はお金持ちだからいいではないか」という答えがかえって きたと嘆いていた。激動する社会の変革期の悩みを今南アフリカの人々は体験しているのである。
次にレセディ文化村を見学した。ヨハネスブルグから1時間弱のところにあるこのテーマパークにはズール族、コサ族、ペディ族、ソト族の四部族に関する生活用具や住居、民俗が集められている。
文化村の入場門の前には四つの民族の人々がそれぞれに動物の毛皮等の民族衣装を纏った半裸体姿で 7〜8人待機しており観光客が到着すると文化村の門前で歌を歌い楽器を奏でて歓迎してくれる。
この文化村には共同の演芸場と民芸品売り場等が備えられていて、民族舞踊や 歌を披露してくれる。民族料理のレストランも設置されている。
彼らの生活する住居もこの近くの林の中に村落の形で保存されていて実際にここで一族が生活しているのである。村落は民族毎に別々の場所に設置されていて、それぞれ5〜6戸の住居と家畜小屋の単位からなっており、住居は草葺屋根の竪穴式住居に似た形態で室内には照明もなく床は土間である。中央に火を焚く小さな石組が並んでいるだけで調度品らしきものもみあたらない。祈祷師の住居が特別に設けられている村もあった。
バオバブの木 我々の見学した村の一つには酋長の二人の妻が同一村落内に生活しており 住まいこそ分かれてはいるが、同じ村落内でそれぞれに顔を突き合わせて家事を分担して仲良く生活している。ズール部族では酋長は妻帯四人が公認されていて、牛13頭が妻一人に相当するというから、人権意識やプライバシィー意識に馴染んだ我々には異様な生活に見えるのだが、生まれたときから生活とはそんなものだと信じこんでいる彼女等にはこれを異様と考える我々の方が不思議に見えるようである。文化の違いというものであろうか。
そして彼らには容易にその属する部族の生活習慣や風俗を変えようとしないで伝統文化を守っていこうとする頑さがある。これを文明に目を背ける蒙昧な停滞とみるか自然と共生する心穏やかな安定とみるか、一種のカルチヤーショックを受けた体験であった。
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