前潟都窪の日記

2004年09月01日(水) 【日の没する砂漠の国にも雪が降る・・モロッコ� �

モロッコの旅 カサブランカ、ラバト、メケネス、ポルビレス、フェズ、ワルザザード、トウーリルト、アイト・ベン・ハッドウ、マラケシュ、アジャディーズ
                 2001年2月13日〜2月21日
モロッコは面積710.850km2(日本の約1.9倍)の国土と約2762万人の人口を有する立憲君主国である。その国土のほぼ中央には、北部地域から南部地域へかけてリフ、モワイヤンアトラス、オートーアトラス、アンチアトラスという四つの山脈が走っていてモロッコの気候条件を変化に富むものにしている。このうちオートアトラス山脈には四千m級の高い山が連なっており、モロッコの地勢を大きく二つに分けている。即ち、大西洋や地中海の沿岸部は肥沃な穀倉地帯を形成しているのに対し、山脈の南東側は荒涼たる砂漠と点在するオアシスで成り立っている。

 第二次世界大戦後フェズ条約の廃棄と独立の承認があって1956年にモロッコ王国が発足した。現在の国王はムハメド6世でアラウイー朝を継いでいる。1999年にハッサン前国王の逝去に伴い跡目を襲った現国王はまだ年は若いが精力的に国内を巡回し、敬虔なイスラム教徒である国民に人気が絶大であるという。奥方はベルベル人の美人らしいが、国民は誰もその顔貌を写真でですら拝したことがないという。情報社会では珍しいイスラム世界ならではの厳しい戒律である。

カサブランカはモロッコは勿論、マグレブ諸国でも最大の経済都市で人口約257万人である。アフリカではヨハネスブルグに次ぐ第二位の規模の港を有し燐鉱石や農産物の輸出港として栄えている。この街では海岸近くにあるハッサン2世モスクを見学した。

 このモスクは前国王ハッサン2世が1986年から8年かけて1993年に完成させたもので20世紀最高の芸術作品である。その規模は敷地の広さが九ヘクタール、モスク内が二ヘクタールもあり、内外で十万人が収容できる巨大な建物は大きさにおいて世界第二位であるという。ミナレットの高さは200mにも及び、世界一の高さを誇っている。そして何よりも観客を驚かせるのはその規模の巨大なことはもとより、施された彫刻の美しい緻密なアラビック模様である。モロッコ全土から四千人の職人を集めて作られたというが、その費用は信徒の寄付金と税金でまかなわれているところが、いかにもイスラム社会の王国らしいと思った。

カサブランカの街を駆け足で通り抜けて、車は一路首都ラバトへ向かったカサブランカからラバトへ向かう高速道路沿いの街路樹はユーカリの木が多く、木立の間には黄色いミモザの花が咲き乱れ、一面に緑の萌える畑にはオリーブの木が茂り、折からアーモンドの花が桜と紛うかのように咲き乱れていた。二月とはいえ、もうこの地は春爛漫の風情である。

ラバトはモロッコの首都であり、王宮を始め行政機関や各国大使館が広大な敷地を控えて立ち並び、高級住宅街とともに近代的で西欧的な佇まいの綺麗な街並みを形成している。人口は二百万人で1912年に首都となった。ここでは王宮とハッサンの塔とモハメッド五世廟を見学した。

 王宮は現国王モハメッド6世とその家族が住んでおり、17世紀に出来たという白い壁の門に緑色の屋根が一際鮮やかに映えていた。 門前には赤色、青色、灰色、白色の制服を纏った警備の人々が立ち並んでいた。それぞれ近衛兵、警察官、軍人、使用人であるという。その配色が建物とよく調和していて美しいと思った。



ハッサンの塔



は未完のミナレット(祈祷塔)である。1195年にムワヒッド朝のヤクーブ・マンスールがモスク建設に乗り出したのであるが、彼が戦死したので工事は中断した。この塔の高さは44mしかないが、実際には88mになる予定であったという。未完ではあるが、ミナレットとしてはセビリアのヒラルダの塔(93m)、マラケシュのクトゥピアの塔>(67m)




ラバトも駆け足で通り抜け、メケネスへ向かった。ここでは昼食に烏賊の中に米を入れて煮た料理を食べた。ラバトからメケネスへ向かう道路の両側にコルク樫の林が大きく広がっているのを目撃した。立ち木の下の部分が長さ2mくらいずつ表皮を剥がれて立ち並んでいる林の姿は一寸異様な雰囲気を漂わせていた。世界有数のコルクの産地であるという。田畑は緑豊かでいかにも肥沃に富んでいるように見え菜の花が黄色く咲いて緑とその鮮やかさを競っていたし、アーモンドのピンク色の花が彩りを増していた。しかしながら田畑に点在する農家の建物は茶色の日干し煉瓦と壁土とで作られた箱型の建物でなんの趣も感じられない単純なものが多かった。



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