前潟都窪の日記

2004年08月30日(月) 【紀元前の遺跡やオアシスと砂漠で生活する人々・・チュニジア�◆�

 モナスティールを朝まだ暗いうちに出発してジェルバ島へ向かった。途中エルジェムでローマ時代の円形闘技場を見学した。この円形闘技場は保存状態がよくナポリ、リヨンのものに次いで世界第三位の大きさであるという。石作りの闘技場は四階建ての楕円形のアリーナになっており広場中央には迫り出し用の幅広の溝が掘ってある。溝の両脇には猛獣達を待機させる部屋が設けられている。観客席の一部は完全な復元がなされていて当時の姿を実見することができる。この闘技場では奴隷である剣闘士が中央の溝から迫り出してくる猛獣達と死闘を繰り広げるのであるが、現代人の感覚からすればなんとも野蛮な競技である。しかし、当時は人気のある競技であった。

 本日の旅程は長丁場のバス移動で、エルジェムを後にすると窓外にはオリーブ畑が延々と続いている。オリーブ畑が次第に切れてくるとバグアという雑草しか生えていない砂漠が現れこれがまた延々と続いている。とても単調な景色の連続であるが、やがてナツメ椰子の林が見えてきた。

 ここが初めて見るオアシスの町ガベスであった。昼食をとるためオアシスホテルまで市中をドライブしたが、道路の両脇にはナツメ椰子の畑が拡がっており椰子の木の下には青々と野菜や牧草などが豊かに繁っている。畑の中には灌漑用の小川も流れている。椰子畑のない通りには民家や学校、商店、公共施設等の建物が立ち並び大きな市街地を形成している。この町では油田も発見されて石油の採掘もなされているというからとても大きなオアシスなのである。この町へ来るまでに私がオアシスに対して抱いていたイメージとは全く異なっていた。せいぜい椰子の木が20〜30本程も生えていて緑地が僅かばかりあり沸き水の流れる小川または小さな池がある小さな集落というのが今までオアシスに対して抱いていたイメージであったので認識を一新させられた。ガベスの町のナツメ椰子の木の数だけでも何十万本にもなるのだそうである。町はずれの小高い丘に登って市街を展望すると砂漠の中に緑の椰子畑と市街地が塊となっている町全体の姿が一望できたので、なるほどオアシスであると実感した。新鮮な発見に驚きながらオアシスを後にして、ドライブを続けるうちに再びオリーブ畑が現れだしたと思う間もなく船着き場へ到着した。ここでフェリーボートに乗ると15分程でジェルバ島へ渡ることができた。

 ジェルバ島は514km2の面積を持ち島の海岸線の長さが120kmにも及びチュニジア最大のリゾート地である。島には国際空港もあり、欧州各地からシーズンともなれば数多くのリゾート客を運んでくる人気絶大の島である。島の住民は殆どが北アフリカの先住民であるベルベル人で女性が麦藁製のカンカン帽をかぶるという特異な習俗を持っている。この島はギリシャ時代からその戦略的な意味で重要な島であるため多くの侵略者達に荒されるという難儀に耐えてきた。

 ジェルバ島から翌朝ローマ時代に作られた橋(天の橋立のような道路)を通って本土へ戻ると、暫くオリーブ畑が続き次第に砂漠に変わって、ナツメ椰子の木が見えてきたと思う間もなくメドニンというオアシスの町へ到着した。ここはベルベル人達がキャラバンを組み砂漠を行商して歩く基地となった所でゴルファと呼ばれる商品の保管倉庫が広場を囲んで幾つも並んで建っていた。次第に定住する人が増えるにつれてゴルファは住居に転用されるようになってきたのである。

 ゴルファは、石と日干し煉瓦で造った二階建て又は三階建ての土蔵を意味し、外観は土製の巨大な円筒を二段〜三段に積んで横に並べたようなものである。今はこの住居でベルベル人達が革細工や陶器、金属細工等の民芸品を観光客相手に売って暮らしている。一見えも言われぬ物珍しい景観である。 メドニンを後にすると窓外の景色は再び砂漠に変わり、バスの高度が上がるにつれ荒涼とした小高い山々が見られるようになって、やがて小さな集落のある山中の町マトマタへ到着した。

 この町周辺の禿山のクレーターには北アフリカの先住民達が故郷を追われてきて隠れ住んだ横穴式の洞窟が幾つもあって、いまだに多くのベルベル人が穴居生活をしている。この地で老人夫婦と若夫婦に子供三人の家族が生活している横穴式住居を見学できたが、冬は温かく夏は涼しくてなかなか住心地はよいものらしい。この地方にはこのような横穴式住居が沢山あって二万人以上が生活しているという。バスで通過中も山裾に幾つかの横穴式住居を目撃することができた。またこの地には横穴を使ったホテルもあり、ホテルシティ・ドレスは映画スター・ウォーズのバーの一シーンとして撮影されたことで有名になった。マトマタの町を後にして暫く荒涼とした山並みの続く山中をドライブしてハメズメットという小さな集落を通り過ぎ、更に走行して平地に出ると再びナツメ椰子の生い茂るオアシスが出現しドゥーズの町へ到着した。

 ドゥーズの町はサハラ砂漠への入り口となるオアシスの町である。天幕生活をしながらオアシスを求めて砂漠を駱駝と共に遊牧するアラブの遊牧民ベドゥインとオアシスに定住するベルベルの人々が出会い交流する町として昔から知られていた。サフランという駱駝の基地には駱駝が60〜70頭もいたであろうか。これほど纏まった数の駱駝を見たのは初めてである。ここで駱駝に乗ってサハラ砂漠を40分程遊覧した。我々一行34人がめいめい一頭ずつ駱駝をあてがわれてこれに打ち乗って、轡取りに誘導されながらではあるが群れとなって行進する姿は壮観であった。群れの中には白地に黒の縦縞のついた貸し民族衣装を纏って、ターバンを頭に巻き付けている人も多勢いるのでキャラバンの大移動と紛うばかりであった。駱駝は乗り降りするとき脚を屈伸するので乗客に与える衝撃が強くうっかりすると振り落とされてしまう。しかし一旦、立ち上がって砂漠を歩みだすと乗り心地はとても良く乗馬と同じような感覚である。幸いにも好天で無風状態であったため砂漠の風紋を観察することもできたし多少冒険じみた貴重な体験をすることができた。

 この夜はドゥーズのホテルに宿泊したが朝晩の冷え込みは非常に厳しく、大陸性気候の何たるかを肌で実感することができた。


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