| 2004年08月24日(火) |
【マスタードの洗礼と豊穣の国のマナー・・アルゼンチン、ブラジル�ぁ� |
平成10年10月29日(木) 9時出発ということでホテル前の桟橋から船に乗る。ネグロス川のクルーズ である。船の上から陸地を見ているといろんなものが観察できて面白い。高床式の住居、造船所水に抉り取られたとはっきりわかる赤くはだけた壁面群れをなして係留されている貨物船、沢山の客を乗せた水上バス、水上バスの屋根下からハンモックを吊るして寝ている乗客、海上に浮かんでいる石油スタンド、沖あいに停泊している大型貨物船、大きなエンジン音をたてながら水飛沫をあげながら早い速度で動いている小舟。 昨日見たアマゾネス劇場のドームの屋根も見えている。空には禿鷹が数羽舞っている。街と反対側の岸はバージアと言い、雨期には土地は水没してしまい、立木だけが水に浮い。ているように見えるという。水没しても立木は順応しているから枯れることがないという。明らかに水に抉られたと思われる赤い疵あとも見えている。
暫く経つとやがて、ソリモンス川とネグロス川とが合流する地点に近づいた。驚いたことに両方の川の水の色が全然違うのである。ソリモンス川は白く、ネグロス川は黒っぽいのである。温度はソリモンス川の方が低く、流れの速度は速いということである。このため合流地点でも二つの川の水は混じらず、一方の流れが下に潜ることになる。二つの流れの色は見方によっては牛乳とチョコレートのようにも見える。ところによっては渦を巻いている。そしてピンクイルカと青イルカが水面に跳ね上がるのを目撃することができる。青イルカのほうが多いようである。私は一回だけだったが赤イルカをはっきりと目撃することができた。一瞬のことだから、人に教えることができない。
二つの川が合流してアマゾン川になって暫く行った地点のバージアに船をつけて上陸した。そこには現地人の高床式の住居があって、白人と混血した一族が生活していた。民芸品の土産物を手作りして沢山陳列していた。魚の鱗や貝を組み合わせてつくった人形面や彫物などが並んでいた。錦蛇の皮が干すために竿につり下げられていたりした。子供が「怠けもの」を抱いていて写真をとるたびにモデル料を請求した。インコウを抱いている少年もいたがこちらには全然お呼びがなかった。
ここでゴムの木から樹液を取り出す実演を見せて貰った。この人は魚捕りの網を熱心に編んでいた。53人の孫がいるという老婆がハンモックで昼寝していたし、鶏や家鴨が歩き廻っていた。この後再び船に乗って、三角州へ戻りここへ係留して昼食を食べることになった。アマゾン川で捕れる魚や果物や、米を炒めたものが用意されていた。結構美味しく御馳走になった。氷でビールも冷やしてあり、有料であるがよく冷えていてこれも美味かった。乗っている従業員は一族のようであったが、先祖が混血しているせいか、欧州人の顔だちをした子供や原住民だとわかる顔をした子供がいて面白い。金髪の女の子もいたし、青色の目の子もいた。
食後、丸太を浮かしている貯木場へ行ってピラニア釣りが始まった。舟の上から釣り糸を垂らして釣り竿の先で水面をピチャピチャ叩いて、ピラニアの注意を引き餌に食いついたところを釣り上げるのである。3艘の小舟に分乗して釣り糸を垂れたが、我々の舟では餌だけ取られて一匹も掛からなかった。最後になって漸く一匹、お情けのように女船頭の糸に掛かった 。これで釣りは約1時間半の予定を終わり、再び部落へ行ってジャングルの中を行進して大オニハスの葉と花を見学に行った。一つだけ大きな花が咲いていた。 この後船に帰ってつり上げたピラニアのから揚げを食べたが美味かった。。 クルージングを終わって引き揚げにかかった頃、俄に雲が大きくなってスコールに見舞われた。僅かな時間であったが、南国らしい体験であった。
マナウスの 出船入り船 俄雨
ホテルへ帰ってバイキングの夕食を済ませブラジルでの日程を終了した。ピラルクのあばら骨についた肉を切ってもらって食べたがとても美味しかった。
深夜11時にホテルを出て空港に向かいマナウス2時発の飛行機でマイアミへ向けてとびたった。 平成10年10月30日(金) 飛行機の中でなんとか睡眠をとることができた。マイアミ空港では大橋さんという男のガイドが迎えにきていた。
バスで市内観光。フォンテンブルーヒルトン、アルカポネが一時滞在したというピルツモアホテル、ベルサーチの邸宅、ベネティアンプール、騙し絵のあるホテル等を見学し、ベルサーチの邸宅前の海岸を水辺まで行った。海岸の砂浜が広く、ハワイのワイキキ等問題にならない程の広さである。 このあと、ショッピングモールへ案内して貰い、プラネットハリウッドやGショックの店に立ち寄った。
昼食は、ニカラガ料理であったが肉が叩いてあり、とても美味しいと思った。蒲鉾のようなものや、赤飯のようなご飯がついていた。 バイオリンの看板の出ている港から食後クルージングしたが、スターアイランドやフイッシャーアイランドの豪華な別荘やら邸宅を眺めて目の保養をさせて貰った。
ホテルへ着いてから一寸睡眠をとってから街へ出て見ようと話しているうちに二人とも寝込んでしまい2時間半ほど経ってやっと目が覚めた。時計を見ると既に6時を廻っていた。ホテルの近くの食堂やコンビニエンスショップを覗いた後、タクシーを拾ってサウスビーチへ行った。案内者なしに片言の英語しか喋れない夫婦が大胆にも繁華街へ繰り出したのである。
運転手に予め印をつけておいた地図を示し、トミーという寿司屋の前で止めて貰って歩くことにした。暫く歩くとシーフードレストランというのがあったのでここへ入って、サーモンとメカジキ(ソードフィッシュ)を取って食べた。量が多くて満腹した。ハロウィーンの雰囲気を味わうための外出であったが、人通りも多くさんざめいていた。仮装した人達も沢山見ることができたので、目的を達して再びタクシーを拾って帰ってきた。ホテルの所在をいうのに私はマイアミスプリングスのホリデイインと地名を言えば判るというのに対して、家内はノースといわなければならないと主張した。問題なく帰ることができたが、後で貰っていたメモをみるとノースエアーポートと。言うのが一番通っている呼称のようであることを理解した。
平成10年10月31日(土)
南米の旅も昨日で実質終わり、今日は一路帰国である。
朝4時には起き出して洗顔、排便、シャワーと済ませて5時に荷物を出してロビーへ行くと、早い人はもうきている。マイアミ空港からアトランタ空港へ。マイアミ空港では朝食用の軽食を袋に入れたものが、蛇腹通路の入り口に置いてあり乗客はこれを手に取って機内へ入るというシステムである。乗客の中にはこれに気がつかず、機内に入ってから慌てて取りに戻るという人もあった。はじめての経験である。競争激化に対応するための合理化策なのだろうか。5時35分ホテル出発、空港7時40分発、アトランタ空港へ9時35分着で約2時間時間待ち。
今日はハロイーンなので空港接客女性職員の中には仮装の服装で執務しているものもある。乗客の中にも仮装しているものがある。奇抜な恰好の女性客に拙い英語で頼んで写真をとる。するとこれを見ていた同行の客達が集まってきてカメラの放列を作ることになる。アトランタ空港で買い物につきあっていると家内が女王のような振る舞いで私のことをまるで従者のような扱いをするので、無言の抵抗を試みる。大きな言葉を出すのも大人げないと思っていると「もう時間?」と聞く。さっきから何回目になるか、「自分の時計をみなさい」とだけ言ってあとは無視して側を離れ待合室へ行く素振りをした。
途中喉の渇きを覚え食堂へ入ってビールを飲んだ。この抗議行動の意味するところを解釈して自分の振る舞いに気がついたのか、待合室で座っている私の側へ寄ってきて、にこやかに話かけてくる。何もなかったかのように。全く役者である。これも父親譲りのたくまざる立ち居振る舞いということなのか。11時45分搭乗開始。搭乗すると空席があることが判っていたので、家内はいち早く横になれる座席の確保のために後部座席へ行ってしまった。
水平飛行になってから昼食が始まったので日本酒を貰い、お代わりも合わせると日本酒二本、ワイン一本を飲んだためぐっすり眠ることができた。夕方の軽食の時間まで4時間から5時間近くぐっすり眠ることができた。帰りの飛行は暗闇なしの明るいままで夜を過ごすことになるので、眠れる時に眠ったほうがあとの対応がしやすい。お蔭で、本来なら深夜にあたり睡眠中である筈の時刻に日付変更線の影響で昼頃の時刻となる。軽食は食べずにいたが、映画が始まったのでその間に食べた。映画は西田敏行主役の釣り馬鹿日誌である。映画が終わると朝食である。日本食でなかった。機中で日が変わる。
平成10年11月1日(日)
暗くならないままに日が変わった。着陸は午後3時55分。荷物受け取り、場で顔をみるごとに挨拶をしてリムジンへ急ぐ。しかしこの時間には到着の飛行機が多く、40分程またされてやっとバスに乗車することができた。日曜日なので道路は混んでいたが、市川で一般道路へ下り、混雑箇所を迂回して海底トンネルの手前で再び高速道路に入って快走した。ために1時間40分で横浜へ到着した。さすがプロである。タクシーで帰ってくると支奈と一法君が丁度来たところで玄関に車が止まっていた。空港から電話したときは留守だったのに。土産を渡して、漬物と赤飯の握り飯で夕食を済ませた。手紙等を整理して十時に就寝。手元に残ったドルは472ドルであった。
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