前潟都窪の日記

2004年08月17日(火) 【還暦クルーズのハワイ出漕記・・アメリカ�ぁ�

平成9年12月30日(火)
 朝8時半から初めて艇に乗って練習。ワシントン州立大学より借りたグラスファイバ−製のエイトである。我々が鶴見で練習に使っているベニア合板の艇に比べてスマ−トで軽るく如何にもスピ−ドが出そうである。ラダ−も小さくて本当に効くのかなとコックスのSさんが心配そうな顔をしている。

 オ−ルは瀬田川の艇庫から空輸されてきたダ−クブル−の懐かしいものである。八本の中に二本だけ、故N・K君の銘の刻まれたオ−ルが混じっている。N・K君の奥さんが個人の冥福を祈ってボ−ト部に寄贈されたものである。この二本のオ−ルは故人と最も関係の深かったI氏とH氏の友情の手に握られて今アラワイ運河で水を掻こうとしているのだ。N・K君よ安らかに眠りたまえ。

 約一時間半の練習。コ−スを千メ−トル漕いでみた。初体験であるが遅れをとらずになんとか合わせていくことが出来た。これなら試合にも出られるだろうと闘志が体中に漲る。N・K君のためにも頑張るぞとの決意を新たにオ−ルを引いた。

練習後、朝昼兼用の食事をペリ−ズ・スモ−ギ−でする。5.99ドルに税4.17%で6.24ドルであった。食後K氏と水泳に行くが道を間違えてヒルトンホテルのほうまで行ってしまった。あとで判ったことであるが、このホテルの庭でオ−プニングセレモニ−が行われることになっていたのだ。図らずして会場の下見をしたということになった。

 夕食は予て下見をし予約しておいた北京で学生諸君と顔合わせ会という形で行われた。 OBは120 ドルの負担となった。

席上自己紹介を兼ねて全員スピ- チをしたが、N・K君のオ- ルを手にして初漕ぎをした団長のHさんのスピ- チは人の心を打つものであった。前日の夢にN・K君が白髪をたなびかせて笑顔で手招きしながら現れたというのである。心なしかHさんの声は潤んで聞こえた。友よ今こそ友情の証によく食べ、よく飲みかつよく漕ごうではないか。

それにしても学生諸君の食べっぷりは頼もしい。自分達にもあのような食欲旺盛な時期があったのだなと千切りのキャベツにソ−スを掛けて、鯨肉と一緒に麦飯をかきこんだ石山の合宿所のことを思い出していた。
             
平成9年12月31日(水)
 朝から練習。約二時間。日本では本日は元旦。3時半よりヒルトンホテルの芝の上でオ−プニングセレモニ−。英語のヒヤリングができないので会話に参加することができないのが情けない。それにしてもOさんSさんの会話能力は素晴らしい。ヒヤリングが出来ているのであろう。二人とも流暢な英語を喋っているのでもなく、話が上手いというのでもなく、知っている単語を並べているだけという感じであるが、ちゃんと自分の意志を相手に判からせて目的を達してしまうのである。物怖じせずに相手に立ち向かって自分の意志を伝えようとする迫力が会話をなりたたせているのであると思う。見習わなければならない所だ。しかし、小生の場合ヒヤリングが出来ないので相手が何を言っているのかが分からずのっけから会話が成立しないのである。英語圏の海外で仕事をした経験のある人とのキャリアの違いを如実に感じさせられた一場面である。夕食はペリ−ズ・スモ−ギィでバイキング。95ドル。

 横浜へ新年おめでとうの電話をかけた。ここハワイに居ると正月気分も沸かない。日本人がやたらに目につくようになった。明日から試合なので9時半には床についたが、アラワイ運河のほとりでしきりに爆竹を鳴らす音が聞こえているのを夢うつつの中で聞いていた。一際大きな爆竹の音で目が覚めた。暫くうとうとしていたが時計を見ると12時半であった。多分日本でいう除夜の鐘に相当する中国式の年越しの合図なのであろう。運河の近くには中国人達が多く住んでいるという。

 年賀状に書いて出しておいた俳句を思い出した。

 ボ−ト漕ぎ 異国で味わう 雑煮かな 
 果たしてこの正月ハワイで雑煮が食べられるのだろうか。
                                  
平成10年1月1日(木)
 元日であるが、外国にいると正月という気分がしない。

今日からレ−スである。七時十五分に乗艇した。オ−ルド・ボ−イズはロンドンから来たウエストミニスタ−Bクル−という高校生クル−が相手である。千メ−トルで22秒、五百メ−トルで11秒のハンディキャップを貰って八時半スタ−ト。我々のクル- が先にスタ- トして、ハンディ- 時間経過後相手クル−がスタ−トするという競技方法である。後からスタ−トした相手クル−の声と水音が後ろから迫ってきて全員闘志に燃えるが、気ばかり先行して思うように体が動いてくれないのでピッチもなかなか上がらない。七百当たりで追いつかれあえなく敗退。残念ながら二戦とも負けた。



この時の当方の編成はコックスS、整調H、七番N、六番T、五番I、四番H、三番小生、二番K、バウkであった。私の経験ではレ−スで千メ−トルもの長い距離を漕いだのは初めてであったが、腹切りもせず空振りもなしで最後までついていくことが出来た。これは私の自慢である。素人が僅かばかりの練習をしただけで、ハワイまで来ていきなり千メ−トルと五百メ−トルのレ−スを連続して漕ぐという冒険に挑戦したのである。T大戦でも三百メ−トルのレ−スである。まともに三百メ−トル以上漕いだことのない素人の私が、全距離を漕ぎきったということは一重に漕友諸兄の友情の賜物であると感謝したいし流行の言葉で言えば私自身を褒めてあげたいと思うのである。

 学生クル−は9時からワシントン州立大学と対戦し、千メ−トルで勝ち、五百メ−トルでは負けた。最初の千メ−トルレ−スで接戦の末、僅かに早くゴ−ルに飛び込んだとき、学生クル−の諸君が両手を上げて歓声を上げた嬉しそうな姿は一生忘れられないであろう。この一瞬の感激のためにこそ人はボ−トを漕ぐのであり、練習をするのであろう。またOBとしてもハワイまで応援にきた甲斐があったというものであり、サポ−タ−冥利に尽きるところである。

 12時からは再びオ−ルドボ−イズがプリンストン大学OBのファット・キャットと対戦し善戦虚しく千も五百もともに負けた。この試合では私とH氏はS氏s氏と交代し応援に廻ることにした。彼等は昨日到着し、睡眠不足気味ではあったが、よく健闘したといえよう。

 この日は学生チ−ムが初勝利をあげたので夕食をOBが御馳走することになりペリ−ズ・スモッギ−のバイキングに連れていったが彼等は皆、惚れ惚れする程よく食べた。

平成10年1月2日(金)
 10時から昨日のメンバ−でオ−ルド・ボ−イズはホノルル・ロ−イング・クラブと対戦し善戦したが、千も五百も及ばなかった。学生クル−は11時からハ−バ−ド・クル−と対戦し千も五百も残念ながら敗退した。彼我の体力差と技術力の差を如実に見せつけられた一戦であった。学生諸君がこの経験を明日に活かして、精進することを望むや切なるものがあると言いたいところだ。

 昼食は、いつも行くロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センタ- 地区でない所へ行ってみようということになり、アラモアナ方面へ向けて出掛けた。コンベンションセンタ- を通り過ぎてちょっと行った辺りに飲食店がたちならんでいる。しかしよく見るとどうも韓国人街らしく、風俗営業のいかがわしい看板が出ている店の隣がレストランになったりしている。暫く物色したが、なかなか適当な店が見つからない。もうすこし先へ足を伸ばしてみようかといっている時、比較的こざっぱりした和食の店を見つけた。入ってみると日本語の達者なウエイトレスが出てきて、特別料理として雑煮と魚料理のセットものがあるという。韓国人の経営らしいが特別料理として雑煮のメニュ- を揃えるなどこの国の人は商売がうまいと思った。値段も18ドルほどなので全員それにし改めて新年の賀詞を交換しあったものである。

午後4時半からコ−チ会議がアウトリガ−・カヌ−・クラブズで催され、オ−ルドボ−イズは全員が招待された。当地で求めたアロハシャツを着用している仲間が四人ほどいたが、顎髭を長く伸ばした禿頭の審判長がたまたま我々仲間の着用しているアロハの柄と同じものを着用して現れた。お互いに指摘しあいながら「ウィ- ア- ブラザ- ズ」と冗談をとばしあうなど和やかな雰囲気の中でパ- ティ- は進行した。しかしながら、会話力の弱いオ- ルドボ- イズの面々は所在なくノンアルコ- ルのフル- ツポンチを飲みながら壁の花ならぬ壁際の彫刻になっている人が多かった。

それにしても、夕日がワイキキの海岸の遙か彼方の地平線に沈んで行く光景は百万ドルの値打ちがあると言ってもよかろう。皆がしばしこのサンセットに見惚れていた。

パ- ティ- が終わってから、夕食にはビフテキを食べようと衆議一決してワイキキの町のレストランを物色していたところ、ビフテキを格安の値段 (確か3ドルだったと思う)で提供するというビラを見つけた。客引きにビラの通りの値段で食べさせるのだなと確認するとそうだということなので12〜13人のグル−プが店の中央のテ−ブルに陣取った。先ずはビ−ルを注文し、これから料理の注文ということになった時にインチキ商法であることを見破った。ビラに掲載されているビフテキはメニュ−にある他の料理とセットになっていて、その料理を注文したら別に3ドルの値段でビフテキを提供するというものであった。他の料理というのが40〜50ドルとべらぼうに高いのである。

 説明を聞いて一同、怒り心頭に達してビ−ルだけ飲んで何も食べずに席を蹴って出てきた その店にはインチキ商法に引っ掛かっているとも気がつかないで法外に高い食事をしている日本人観光客もいたが、中央に陣取った我々大勢のグル−プが何も食べずに出ていくのを怪訝な顔で見ていた。悪徳商法にひっかからずに済んだという笑い話の一つとしてかたずければいいのかもしれない。

 しかしながら翻って考えてみると日本は今こそ不況の中で呻吟しているが、日本国民一般が高度成長からバブルに至るまでの期間は世界に対してその経済力を鼻にかけ、不遜で思い上っていたのではなかろうか。チップを法外にはずみ、高価なブランド品を買い漁り、観光地の物価を釣り上げ、夜の巷で札びらを切って御乱行に及び諸国の顰蹙を買い、対日本人向け特別価格を形成せしめたという謗りを免れることはできないだろう。今回のような日本人相手の悪徳商法を生み出させしめたのもまた日本人であると言えるのではないか。その意味もあって日本人の中にも骨のある人達が居るということを悪徳商人共に思い知らしめねばならないという意識が我々の気持ちの中にあって、とらせた今回の行動であると言えるのではなかろうか。S氏が旅行中しきりに言っておられた安易にチップをはずみ過ぎると却って馬鹿にされるという言葉は正論だと思う。

結局ホテル近くのシッツラ−でビフテキを食べることになった。ここでは12ドルなのである。如何にしてリ−ズナブルな値段の料理屋を捜しだすかがこうした外国での合宿の成否を決める大きな要素になると思うのである。
        
平成10年1月3日(土)
 今日からI、H、K、Oの各氏は帰国したので、オ−ルド・ボ−イズはメンバ−が足りなくなる。小生の出番がやってきた。よしもう一度漕ぐぞと力が体の中に漲るのを感じた。それにしてもまだ二人足りない。補漕の学生諸君二人に応援を頼まねばならないのである。

 その時頭に浮かんだのは補漕できている四人の学生諸君のことである。彼らも外国で漕ぎたいであろう。たとえオ−ルドボ−イズの中に入ってでも漕ぐことが出来れば、彼等のボ−ト人生のなかでいい体験になるであろう。一回も漕ぐことなく帰国する学生があってはならない。彼らに外国を体験させ力をつけさせるのが目的で今回の遠征が計画されたのではないか。ここに思いが到ったとき補漕の選手達に一回でも多く漕がしてやりたい、そのためには素人の私が下りればいいという気持ちが自然に心の中に沸いてきたのである。私のこれからの勤めは岸辺から声の限り旗を掲げて声援することだ。その旨を意志表示した。幸いこの私の気持ちは快く理解されて補漕の選手は全員一回以上は漕ぐことができるようになった。

 レ- スはオ- ルド・ボ- イズがウエストミンスタ-Aクル- と対戦。補漕の学生諸君三人を加えてのレ- スとなり、若い諸君が力漕したが千、五百共に惜敗した。

 学生クル- はオ- プン戦で相手はいずれも女子クル- のORUとUSCの2クル−であった。いずれもハンディ−を提供しての対戦であった。接戦の末、追いついて勝ったレ−スもあったと思うが、勝敗の結果を確認していない。
     
平成10年1月4日(日)
 最終日である。オ−ルドボ−イズはハワイ・ロ−イング・クラブと二回目の対戦であったが、若い学生選手が四人入ったので、ハンデキャップなしをN主将が、元気に要請して相手に立ち向かった。接戦を演じたが僅かな差で1000、500 とも勝ちを譲った。我がオ- ルド・ボ- イズ・クル- の四人のOBは学生諸君の力強い漕ぎについていくのが精一杯の戦いであった。漕いだ選手の事後の感想は皆一様に今日程歳を感じたことはない、気ばかりあせるが体がついていかない、若い諸君に乗せて貰っているだけだったというものであった。

 全レ- スが終わってからヒルトン・ホテルでアオ- ド・バンケが催され、デイナ- を食べながらお互いに健闘を讃えあい国際親善の場を楽しんだ。最後に求めて、オ- ルド・ボ- イズ、学生諸君一同が会場中央に集まりスクラムを組んで琵琶湖周航の歌を歌った。予め配っておいたカレンダ- には英語の歌詞もついていたので、外国の選手の中には我々に合わせてくちずさんでいる人も何人かいた。H氏とK氏が用意してきた日本の独楽とか扇等の小物のお土産も好評を博した。

 今回の遠征ではH団長がボ−トとはお互いにクル−メイトのことに気を配りあっていかなければ成り立たない競技であるということを、ことあるごとに力説しておられたが、まさしくその通りであると思った。思えば平均年令60才のオ−ルド・ボ−イズ・クル−が事故もなく異国の地で無事漕ぎ終えて、それぞれに達成感を味わい爽やかな思い出を残して帰国できたことは一種の奇跡であると言えるかもしれない。いやそれよりも、H団長、N主将、漕ぎ手の人、本土で今回の企画を推進して下さったOB会の関係者各位の相手を気遣うという気持ちが一つの目的に向かって結集したからであろうと思う。本当に有り難うと心から感謝申しあげたい。

 鶴見川でまた漕友達とオ−ルを握り、T大戦、琵琶湖就航を目指して良い汗をかきたいものである。今晩はきっと練習後、生麦のビ−ル工場でジョッキを傾けながらクル−メイトと談笑している情景を夢にみることだろう。


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