| 2004年08月18日(水) |
【太陽とサボテンと古代遺跡の国・・メキシコ� � |
メキシコの旅 メキシコシティ、ティオティアカン、メリダ、ウシュマル、チチェンイッツァ、トウルム、シェルハ、カンクン 1998年5月16日〜5月23日
平成10年5月17日午後5時前に標高2241mのメキシコシティへ到着し、前面がガラス張りのキラキラ光っているクリスタルホテルへ荷物を置くとすぐ黄昏どきの市街へ出た。名物料理のタコスを食べるためにガルバルディー広場にあるレストランへ急いだ。高地だけに肌寒かった。
街の第一印象はコロニアル様式の古い建物が立ち並んでおり、ヨーロッパ風の街並である。コルテスがアステカ帝国を征服してからスペイン人達が作り上げた街だというのが頷ける。
タコスはトルティーヤというトウモロコシの粉を練って薄く焼いたパンに野菜や肉をくるんで食べるのだが、サルサと呼ばれる緑色や橙色のソースをつけて食べるとなかなか美味しい。
飲み物にはマルガリータというテキーラがベースになったカクテルを貰った。とても甘くて口当たりがよい。グラスの回りに塩が塗ってあってこれがまた味を引き立てる。
舞台ではダンス、投げ縄、タップダンスなど盛り沢山であった。踊り子や楽士達の衣装はこれまたスペイン風であった。ショーが終わると待ちかねていたように、老いも若きも日本人以外の客は、我先にと舞台へ上がりダンスを始めた。彼らには踊りが生活の一部になっているという感じである。ガルバルディー広場は通称マリアッチ広場ともいうらしいが、何組ものマリアッチ(メキシコ独特の楽団)が演奏しており、その周辺には群衆が屯してそれぞれに夏の夜を楽しんでいた。
翌朝、ホテルを出ると操り人形を 持った男がしきりにアミーゴと言いながら近寄ってくる。5ペソほどチップを与えて写真を撮った。
その広さが24万m2もあるというソカロ広場 を通って国立宮殿へ入りリベラ作の大きな壁画の解説を聞いた。壁画には夥しいほど数多くの人物が描かれており、その内容は歴史あり、物語ありで説明がなければ意味も分からずに素通りするところだが、ガイドの説明になるほどと頷くことができた。
メキシコは1917年に現行憲法が制定されるまで、今世紀初頭に何回もの革命騒動や政変があったが、革命の理念は褐色の原住民の開放を目指したものであったから、この壁画の主題はコルテスを初めとして彼らを不当に搾取した白人達を告発することと、古代アステカ世界を礼賛することにあるという風に理解した。
三文化広場、サンティアゴ教会を見学してから、グァダルーペ寺院のマリヤ像を物凄い人混みにもまれながら見学した。
三文化広場のあるところはアステカの時代に商業都市として栄えたところで1521年にアステカ帝国とスペイン軍との最後の戦闘があった場所である。アステカの神殿遺跡、コロニアル様式のサンティアゴ教会、そして外務省をはじめとする近代・現代の高層建築が一ケ所に会しているので三つの時代の文化という意味で三文化広場と称しているのである。
サンティアゴ教会ではミサをしている所やステンドグラスの単純な模様を見学した。内部の壁に装飾のないすっきりした建物はこれでまたなかなか厳かな感じを与えるものである。
グァダルーペ寺院の周囲にはメキシコ全土から集まってきた善男善女が着飾って、酷暑の中を汗かきながら行列を作り入場の順番を待っていた。ここはメキシコの聖地であり信者達の熱気がムンムンと立ち込めていた。
グアダルーペ寺院のマリヤ像 についてはメキシコ人なら誰でも知っている次のような奇跡が伝えられている。
コルテスに征服されて10年後の1531年、ホアン・ディエゴという農民が、当時のメヒコ市の司教スマラガの所へ息せき切って駆けつけて来て言うには市の郊外のテペヤックの丘にマリヤが現れて「ここに教会を建てて欲しい。自分がそう言った証拠としてそこに咲いているバラの花を摘み、着ている正装用のマントに包んで司教の所へ持って行きなさい」と言ったというのである。司教がマントを拡げてみると、そこにこのマリア像が写っておりそれ以来、聖母像がメキシコ人の信仰の中心になりこの寺院が聖地になったのである。
ティオティワカン遺跡へ向かう途中、メキシコ人の土産物店で主人から龍舌蘭の葉を教材として使いながらの説明を聞いたがなかなか面白かった。サボテンの一種であるこの龍舌蘭 からは繊維、紙、テキーラ、医薬品、化粧品等沢山の製品がとれて貴重な植物である。バスで移動するときにも、しばしばこの龍舌蘭の畑を目撃した。まさしくメキシコは太陽とサボテンの国である。窓から差し込んでくる日差しも心なしか陽気で力強く感じられる。
ティオティワカン はメキシコシティーの北東50kmにある巨大な宗教都市の遺跡である。紀元前2世紀頃から6世紀頃にかけて発展し、8世紀に滅んだと考えられている。ティオティワカンとは人間が神に変わる場所という意味で、王はこの地に埋葬された後、神に生まれ変わると信じられていた。
この遺跡にある「太陽のピラミッド」 は高さ65m、底辺1辺225m、容積約百万m3もある巨大なもので太陽が正面に沈むように設計されている。このピラミッドの階段を手すりに掴まりながら頂上まで登ると緑に包まれた広大な遺跡を一望できて古代のロマンに暫し思いを馳せた。
翌日はメキシコシティー空港よりユカタン半島のメリダ空港へ飛んで、マヤ遺跡へ向かう途中マヤ人の市場へ立ち寄って彼等の生活状況を観察した。月一五千円〜二万円が収入だという。中産階級の下限の年収が千ドルだといい彼らは今なお下積みの生活に耐えている。
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