| 2004年08月11日(水) |
【ナイヤガラの滝と錦繍のメープル街道・・カナダ�◆� |
翌朝は400kmを五時間の予定でケベックシティへバスドライブである。州道40号沿いの紅葉は素晴らしかった。特に赤、橙、黄、緑と四色に色づいているのがよい。概ね山並みは女性的であり、メープル街道は全山此れ錦繍という感じであった。
ケベック州の州都ケベックシティは、フランスの植民地拠点として建設された。カナダでもっとも歴史のある町で古くからイギリスとフランスの植民地支配争奪の的となり戦いが繰り返されたところである。イギリス支配下を経た現在も住民の85%以上がフランス系カナダ人というフランス文化圏である。当然に公用語はフランス語で看板の文字も全てフランス語である。ケベック市は1985年に世界文化遺産に指定された町で18世紀の歴史をそのまま閉じ込めたような町である。
旧市街でセントローレンス川を見下ろす位置に建っているお城のような建物シャトーフロントナック はケベックのランドマークであり、フランスのシャンポール城を模して作られた重厚なホテルである。また高台にある星型の要塞シタデルの前面には総督の散歩道と称される遊歩道が設けられておりセントローレンス川の風光をめでながらそぞろ歩きをするのに相応しい場所である。すぐ近くのダルム広場では大道芸人がパフォーマンスを繰り広げており沢山の観光客が群がって楽しそうに眺めている。
市庁舎、ノートルダム大聖堂を見学してサンルイ通りやサンジャン通りをそぞろ歩きするとレストランやショップが軒を連ねており観光客や買い物客が楽しそうに行き交っている。店内ではフランス語が飛び交っている。ノートルダム寺院のステンドグラスが美しかった。
商店街プチ・シャンプランは旧市街の崖下の狭い道の両側にレストラン、カフェ、ギャラリー、ブティックが軒を連ねている商店街で、多くの観光客で賑わっている。1608年にフランス人サミュエル・サンプランが上陸して植民地住宅を建設してから最初にできた北米最古の商店街なのである。通りの行き止まりには旧市街へ出られる急勾配の通称首折り階段が設けられていて、ここも多くの人通りがあった。この地域にあるロワイヤル広場から見上げると、カメラアングルが絶好の位置にシャトーフロントナックが聳え建っている。 州議事堂 、高級住宅街、戦場公園等をバスで観光し黄昏どきをオルレアン島のメープルシロップ工場へ見学に行った。メープルの幹からシロップを取り出すところや、シロップを濃縮していく工程をつぶさに見学することができた。収穫は極寒の三月に樹液を採取し24時間以内に精製しなければならないが、家内手工業によっており四十lの樹液から僅か一lの製品がとれるだけだというから大変な重労働である。この工場でホームワインと手製のケベック料理を御馳走になったがカントリーミュージックを聞きながらの素朴な田舎の味は格別であった。見学したこの家内工場のマーケットシエア率は75%であるという。
ケベックのホテルを朝出発してモントリオールへ向かった。ここではネオゴシック様式の大聖堂、ノートルダム寺院、ジャックカルチェ広場、ボンスクール教会、ボンスクールマーケットを慌ただしく見学してモン・ロワイヤルの丘にある聖ジョセフ礼拝堂 に参詣した。この大規模で壮大な礼拝堂は当初、奇跡の人といわれるアンドレ修道士が建てた数メートル四方のものであったが、彼の没後熱心な信者によって1924年から建設が始められ1960年に完成した。今では年間二百万人が訪れる世界的な巡礼地に変貌した。
アンドレ修道士は信仰の力で多くの人の病を治したといわれ、特に足の病いを多く治したといわれる。実際に歩けるようになった人達の松葉杖が沢山奉納されていた。現代の奇跡であるといえる。 モントリオールの建物
ケベック州内の自動車のナンバープレートは車の前部にしかついておらず必ずフランス語でJe me souviensという標語が書き込まれている。これは私は忘れないで覚えているという意味であるが、車のナンバープレートにまで掲げて彼らフランス系住民が拳拳服膺していることは何か。それは第一に開拓者精神であり、第二に英仏戦争に負けた敗戦の屈辱であり、最後にフランス文化とフランス語の誇りである。この話をきいた時、勤勉な態度が失われ第二次世界大戦の敗戦体験が風化し、美しい日本語が死後化しつつある祖国の現状に照らしてみてケベック人は偉いと心の中で一人叫んでいた。
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