| 2004年08月05日(木) |
【第29回ワールド・マスターズ・レガッタ出漕記・・チェコ�◆� |
いよいよレースの日である。我々の出場するレースの種目はエイト。クラスはFクラスで平均年齢64才。距離は千m。筆者は3番漕手である。11時45分に我々のクルーも出艇し
堤防で仕切られた川をウォーミングアップしながらスタート地点まで向かった。何しろ3分刻みのスタートだから、スタート地点へ向かうクルーの艇が目白押しで慌ただしかった。
スタート地点に早く到着して艇を係留し合図を待った。7杯レースである。隣の1レーンは日本から来た三菱クルー、2レーンが我々のクルー。更に隣の3レーンはイギリスのヘンリーから来たクルーであるが、スタート直前まで定位置につかず練習をしている程の余裕である。4,5,6,7レーンはそれぞれノルーウエイ、ニュージーランドアメリカ、ドイツと何れもボートの盛んな国々からのクルーである。
冷静に冷静にと言い聞かせながらスタートの合図を待つが知らず知らず心臓の鼓動は高まっていく。コックスのSさんも緊張してあがり気味である。
いよいよブザーがなってスタートした。
12時36分である。失敗もなくスタートできたと思ったが、外国クルーのピッチはとても速い。左隣3レーンの英国クルーは最初のダッシュ4〜5本で既に視界にはなく、辛うじて右隣の三菱クルーと並んでいるのが判る。やがてその三菱クルーも視界から消えてしまった。スタート力漕でバランスが崩れて、フィニッシュが合わず漕ぎきれていないのである。最後尾になってしまったということは判るが、それでもどうにか建て直して完漕すべく必死で漕いだ
。
特に失敗したオールはなかったが、実力の格差は如何ともし難く、タイムは五百mで1分55秒89、千mで4分00秒28、トップとの差47秒88で三菱クルーとの差も14秒弱あり完敗であった。
ボートが日常生活の中に溶け込んでいて社会人であっても、週に5〜6回は乗艇する国の漕手達。それに比べて精々週に1〜2回練習ができればいいとする日本の社会人漕手達。漕艇環境が整い、漕手層の厚い欧米の国々とボートはまだマイナーなスポーツである日本との実力の格差はとても大きいということを痛感した。
世界マスターズに出漕し完漕できたことを記念して皆で集まり
写真を撮影した。
この後Nさんのシングルスカルの出艇が16時51分なのでそれまでゴール近くで色々な種目のレースを見学した。実に迫力のあるレースばかりである。特にエイトが8艇並んで競う所は壮観である。オールが作り出す波が岸辺へ押し寄せてくるのを初めてみた。
川辺には芝生らしき雑草が沢山生えていて凄く臭い臭いがする。アンモニアににたような鼻をつく臭いである。犬の小便かとも思ったが、何処へ行っても草原ではこの臭いがするので肥料か除虫薬を撒いたのではないかと思う。
Nさんのレースは堤防へ行き小高い所から声援したが、逆風の影響で艇速がでず、見ていて気の毒な位の漕ぎ方でラストでゴールした。聞けば前日食事ができず、力がでなかったようだ。体質的に痩せ型でいくら食べても太らないので、レース直前に栄養を補給しておかなければ、力が出ないタイプのようである。このレースにかけていた意気込みが大きかっただけに落胆の様子はよく判るし気の毒な結果であった。
翌日は午前中プラハ市内

とプラハ城を見学してからレース場へ行った。
フスの銅像

今日はパーティー
がある日だ。
川辺に張られたテントの中で国際色豊にワイン、ビール、ビュッフエ形式の料理と御馳走が並んだ。
歌が出、ダンスが始まり大いに盛り上がった頃、隣のテーブルにいた英国からきた女性クルーと意気投合して、写真をとったりしているうちにC大OBのS氏の巧みな話術で腕相撲対抗戦をすることになったが、我等日本人クルーの3人の男子は全て負けてしまった。そこへ腕自慢のH氏が登場し片っ端からなぎ倒していったので辛うじて大和男子の面目
を施すことができた。
女性とはいえ外国選手は筋骨隆々としていて肥満体は少なく、ボートが強いのも肯べなるかなと思った。 レースを終わり観光旅行でバスと列車を利用してチェスキークロムロフ

とウイーン市内を見学して帰途に着いた。チェスキークロムロフははルネッサンス様式の建築が有名で町全体が世界遺産に登録されている。
洪水の被害の爪痕
がまだあちこちに残っていた。

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